翻訳と辞書
Words near each other
・ ケベス祭り
・ ケベック
・ ケベック (ケベック州)
・ ケベックの戦い (1690年)
・ ケベックの戦い (1775年)
・ ケベックの日
・ ケベックシティ
・ ケベック・ウィンター・カーニバル
・ ケベック・キャピタルズ
・ ケベック・シティ
ケベック・シティー
・ ケベック・シティー市長
・ ケベック・ジャン・ルサージ国際空港
・ ケベック・ノルディクス
・ ケベック・ノルディックス
・ ケベック・フランス語
・ ケベック人
・ ケベック会談
・ ケベック会議
・ ケベック会議 (1864年)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ケベック・シティー : ウィキペディア日本語版
ケベック・シティー[ちょうおん]

ケベック・シティー(、、発音:)は、カナダケベック州にある都市。同州の州都であり、州内ではモントリオールに次いで人口が多い。2006年の調査によると人口は491,142人(国内9位)で、大都市圏内では715,515人(国内7位)である〔〔。
セントローレンス川が、ダイアモンド岬と、対岸のレヴィとに接近した地点で狭まっていることから、先住民アルゴンキン族の言葉で「川が狭くなっているところ」を意味する「ケベック」という名前になった。市内の旧市街はメキシコ以北では現存する唯一の城郭都市となっており、1985年にユネスコ世界遺産に「ケベック旧市街の歴史地区」として登録された〔"Historic District of Old Québec". World Heritage; UNESCO. Retrieved January 12, 2009.〕〔^ "Old Quebec City, Seven Wonders of Canada". cbc.ca. http://www.cbc.ca/sevenwonders/wonder_quebec_city.html. Retrieved February 12, 2008. 〕。1608年に設立されており、北米内で最も古い歴史を持つ都市の一つでもある〔フレンチテイストの香り漂うケベック州〜ケベックシティ、モントリオール、メープル街道〜 カナダ旅行ガイド 専門店 ファイブスタークラブ 〕。アメリカ文化が強い北米で、公用語がフランス語でかつ人々の生活様式や文化の面でフランス文化が強いという独自性を放つ。
ケベック州との区別から一般に「ケベック・シティー」、または「ヴィル・ド・ケベック」と呼ばれる。フランス語ではケベック州は「le Québec」、ケベック・シティーを単に「Québec」と呼び、区別している〔ケベック・シティ - カナダing 〕。
== 歴史 ==

1534年から3度にわたり、フランス国王フランソワ1世に派遣されたジャック・カルティエが、スタダコナ(現在のケベック・シティー)に入植を試みたが、当初はうまく行かなかった。一方で、ヨーロッパ漁業関係者がカナダで副業として毛皮の取引を行っていたことから、フランスは、毛皮取引の占有権を持ち、カナダに植民地を建てた。1600年、ピエール・ド・ショヴァンタドゥサックに毛皮の交易所を建て、後に占有権を得たピエール・デュグアが、開拓移民団を連れてカナダへ向かった。この一行に地理学者サミュエル・ド・シャンプランがいた。彼らの開拓した植民地は、ヌーベル・フランスと呼ばれることになる。
彼らはまずアカディアに入り、その後、現ノバスコシア州西部のポートロイヤル(ポール・ロワイヤル、現アナポリス・ロイヤル)にも入植したが、不発に終わった。1608年、一行はケベックにアビタシオンと呼ばれる木造建築物を作り、そこを交易所とした。、「ヌーベル・フランスの父」とも呼ばれたシャンプランは、植民地をめぐる様々な問題に取り組み、奥地への探検を奨励した。その一人が、白人として初めてペンシルベニア州を横断し、スペリオル湖を発見したエチエンヌ・ブルレである。シャンプラン自身も1609年にシャンプラン湖を発見した。一方で、キリスト教布教が行われ、17世紀半ばには、人口の4分の1は、イエズス会神父や、ウルスラ会の尼僧といった聖職者だった。
毛皮貿易は、一部の非合法者(クーリュエ・ド・ボワ)の問題を抱えながらも大いに栄え、後に女性も入植して来て、家庭を営む人々が増えた。水路などのインフラストラクチャー整備も行われ、農作物の生産も増大した。
フランスがケベックの開拓と発展にいそしんでいたほぼ同じ時期、イギリスも北米で植民地建設に力を入れていた。オランダを追い出した後、ハドソン川経由で毛皮貿易を行っており、ヌーベル・フランスにとって脅威であった。特にアカディアやニューファンドランドをめぐっての対立が激しくなり、やがてヨーロッパでの二国間の抗争が、植民地に飛び火するようになって、1754年ジョージ・ワシントンがヌーベル・フランスを攻撃し、その後ヨーロッパの七年戦争が波及する形で、北米での英仏の衝突が起こった。特にイギリスでウィリアム・ピットが政権を握った頃から、戦況はイギリスに有利に進み、1758年イギリス海軍はフランスを海上封鎖して、ルイブール要塞に壊滅的な打撃を与えた後、1759年にはアブラハム平原の戦いで勝利を収め、ついにヌーベル・フランスは、イギリスの統治下に置かれることとなった。北米植民地での英仏の戦いは、「フレンチ・インディアン戦争」とも呼ばれる。

イギリス植民地となったケベックに、今度はアメリカ独立戦争革命軍が押し寄せた。ケベックは、アメリカから大陸会議で革命参加を呼びかけられたが応じず、遂に翌1775年、独立戦争の口火が切られた。革命軍はモントリオールに続いてケベックにも攻め入ったが、長期の戦いと兵站不足に加え、1775年12月31日の戦いで、司令官のリチャード・モントゴメリーが戦死したうえに、イギリス艦隊のケベック接近で、革命軍は撤退せざるを得なかった。米英の対決はその後も続き、結果として独立をよしとしないアメリカのロイヤリストがカナダに移住してきた。その後イギリス系ロイヤリスト中心のアッパー・カナダ、ケベックを含むフランス系中心のローワー・カナダに分かれて行き、ケベックはローワー・カナダの首都となった。
1793年、革命後のフランスとイギリスの間で再び戦火が起こり、1812年にはカナダとアメリカの間で戦いが始まった。この戦争の後、イギリス系がカナダに増え、ローワー・カナダとアッパー・カナダでそれぞれ反乱が起こったため、両者の連合が行われ、首都がキングストンに定められた。南北戦争後、カナダ併合論が再燃したアメリカから植民地を守るため、連邦化が検討されるようになり、1864年10月ケベックで「ケベック決議」が採択され、翌1867年には「カナダ自治領(ドミニオン)」が誕生する。また、西部への開拓が進み、ブリティッシュコロンビア州や大西洋岸の植民地も連邦に参加した。
連邦結成後、ノースウエストの反乱に見られるような地域主義の高まり、またケベック議会でも、イギリスに没収されたイエズス会資産への補償金を認め、ローマ教皇がこれに絡んだことから、国内、州の間にさまざまな亀裂が生まれた。その後、首相ウィルフリッド・ローリエが、国内に矛盾を抱えつつも、妥協策により、イギリスの植民地からの離脱を試みた。その尽力により、すべての植民地がドミニオンと呼ばれることになり、個別海軍の設立が認められた。
20世紀に入って移民が増加し、また工業化が進んで、ケベック州もその一端をになったが、カトリック教会が工業化を好まず、実権はオンタリオ州に握られていた。また、ローリエの退陣により、それまでの譲歩策が、アメリカ支配にとって代わられて行った。第一次大戦後の調整期を経て、自立の道を進むも、地域格差が解消されないまま大恐慌、第二次大戦に突入し、主にヨーロッパに軍や軍艦を派遣したが、真珠湾攻撃以降は、太平洋岸で危機感が煽られた。そんな中、ケベックで1943年8月第1回ケベック会談1944年9月第2回ケベック会談の2回に渡る米英首脳会議が開かれ、当時のキング首相も列席するが、ホスト役を務めただけで終わる。
第二次大戦後、カナダはアメリカとの緊密度が増した。また、ニューファンドランドが正式に連邦に加盟した。工業化が進む中、「静かなる革命」が起こる。戦後の復興から取り残された感のあるケベック州で、時の州首相であるジャン・ルサージにより、独自の経済政策や教育改革が起こり、フランス・ナショナリズムが表面化した。一方でこのことで州内に亀裂が生まれ、ベトナム戦争をめぐって対米関係もきしんだ。
1967年モントリオールでカナダ建国100周年を記念したモントリオール万国博覧会が開かれ、カナダとしての独自性がはぐくまれる一方で、70年代以後、ケベックの主権を唱える声が高まり、ケベック解放戦線による「十月危機」が発生する。1977年にはフランス語優先政策である「フランス語憲章」が発布された。また、カナダ連邦政府は、米加協調路線を再び取るようになり、ケベック州出身のマルルーニー政権下で、アメリカとカナダにメキシコを入れたNAFTAの調印を見る。そのかたわら、ケベックの分離独立運動は、解決を見ないまま21世紀に突入することになった。
2008年、入植400年を祝う記念行事が行われた〔木村和男編 『カナダ史 世界各国史23』 山川出版社、1999年。〕〔CANADA - Information Pages dealing with our history 〕〔ボンジュール・ケベック 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ケベック・シティー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.