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ケイシー・ジョーンズ : ミニ英和和英辞書
ケイシー・ジョーンズ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ケイシー・ジョーンズ : ウィキペディア日本語版
ケイシー・ジョーンズ[ちょうおん]

ケイシー・ジョーンズことジョナサン・ルーサー(ジョン)ジョーンズ(John(athan) Luther "Casey" Jones1863年3月14日 - 1900年4月30日)は、アメリカ合衆国テネシー州ジャクソン出身で、イリノイ・セントラル鉄道 (IC) に所属した蒸気機関車機関士。幼少時代にケンタッキー州の町ケイス (Cayce) 近くに住んでいたことがあり、このときに "Cayce" というニックネームを貰ったが、本人がこれを "Casey"(ケイシー)と綴るようになった〔Railroad Magazine" Vol 24 (April 1928), No 2, pp. 13,44. 〕。
1900年4月30日、霧と雨の降るミシシッピー州ボーンで、立ち往生していた貨物列車に彼の運転する旅客列車「キャノンボール・エクスプレス号」が衝突し、彼一人だけが命を落とした。大勢の命を救うために列車を止めようとした劇的な死は、友人でもあった IC の黒人掃除夫であるウォーレス・サンダースが歌ったバラードによって、現代でも人々の心にヒーローとして息づいている。
== 事故 ==

1900年4月29日、カントンからの第2列車(機関車は384号機)を運転してきたジョーンズはテネシー州メンフィスのポプラストリート駅にいた。普段、翌日の運転のための待機宿泊地はメンフィスであったが、382号機が牽引する第1列車(シカゴ・ニューオーリンズ・リミテッド号、後には有名な「パナマ・リミテッド」と呼ばれたことで知られている)と、その折り返し第4列車(ニューオーリンズ・ファストメイル号)をいつも運転しているサム・テイトが、痙攣を起こしたためジョーンズに第1列車のカントンまでの運転を代わってくれと頼んできた〔Under Illinois Central's numbering scheme at the time, southbound trains were assigned odd numbers while northbound trains were assigned even numbers.〕。ジョーンズはどんなに困難な状況でも定時運行するということへの挑戦がことのほか好きだった。
ジョーンズは高速の出る機関車、優秀な黒人の火夫シメオン・T・ウェッブ(彼はこの列車専属の火夫だった)、加えて軽量な客車を率いて走ることになった。雨が降っていたが、この時代の蒸気機関車は湿度が高い状態で最も動きが良かった。だが、その晩の天候は霧が濃く(このため視界が悪い)、路線はカーブの多いことでも有名だった。その晩において、この二つの状況が致命的だった。
第1列車(6両編成)は通常、午後11時15分にメンフィスを出発し翌朝の4時5分に、南に188マイル先のカントンに到着する。この日は機関士の交代のため定刻に発車できず、95分遅れの午前0時50分出発となった。
ジョーンズは遅れをほとんど取り戻し、時速75マイルで走っていた。半径1.5マイルの左カーブを走っていたため右側にある機関士席からは前方がよく見えなかったため、危険を感じていなかった。左側にいた火夫のウェッブは多少前方が見えた。はじめに本線上に残っていた列車の最後尾にある車掌車の赤いランプが見えた。「何てこった、本線上に何かいるぞ」とジョーンズに告げた。ジョーンズはすぐに「飛び降りろ、飛び降りるんだ、シム!」と叫んだ。シムは衝突地点のおよそ300フィート手前で飛び降り、衝撃で気絶してしまった。飛び降りるときに聞いたのはジョーンズが貨物列車のみんなに危険を知らせるために鳴らした長い汽笛だった。このとき定刻から2分遅れていた〔。
ジョーンズは逆転を掛け、エアブレーキを非常位置とした。しかし382号機は木造の車掌車、干し草や穀物、材木を積んだ貨車を次々と粉砕し、ついには脱線した。ジョーンズが運転台に残って減速させたので、当初毎時75マイルだった速度は衝突時には35マイルほどになっていた。このために乗客らに死者や重傷者は発生しなかった(この衝突事故の唯一の死者はジョーンズだった)。彼の時計は発見されたとき午前3時52分を指していたという。残骸からジョーンズの体を引き出した際、彼はまだ命があり、警笛の紐とブレーキレバーを握りしめていたというのが伝説となっている。1/2 マイル離れた駅までストレッチャーで運ばれたのちに死亡したとされている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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