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キマフトマティキ : ミニ英和和英辞書
キマフトマティキ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


キマフトマティキ : ウィキペディア日本語版
キマフトマティキ

キマフトマティキ(, KBKhA)は1941年に共産党航空機産業委員会(NKAP)によって設立され、 によって1965年に彼が亡くなるまで率いられたロシアの設計局である。起源は1940年に設立されたモスクワ気化器工場にまで遡り、1941年にノヴォシビルスク近郊のに疎開して、1945年に現在操業しているヴォロネジに移転した。元々はOKB-296として識別される航空機のエンジンの燃料装置の開発を担当する設計局で1946年にOKB-154に改組された。
1965年にA.D. Konopatovが引継ぎ1993年にV.S. Rachukが引き継いだ。これまでに液体燃料ロケットエンジン、宇宙用原子炉、ソビエト初の出力1MWのガスレーザーやソビエト唯一の運転可能な原子力ロケットエンジンを含む幅広い高技術水準の製品を設計した。 これまで60機種以上の液体燃料ロケットエンジンを設計してその中で30機種類あまりが量産された。
== 第二次世界大戦 ==
キマフトマティキ設計局の元来の任務は第二次世界大戦中にソビエトの航空機用の燃料システムを開発することだった。コズベルグは航空機機関製造中央研究所の燃料システムで10年を過ごした後、新しい設計局に配置された。ドイツ軍の侵攻により拠点をシベリアBerdskへ移し、コズベルグと約30人の彼のチームメンバー達はLa-5La-7ツポレフ Tu-2 やTu-2Dを強化する直噴システムを開発した。新しい燃料システムは従来のガソリン燃料システムを凌駕する目覚しい性能の向上をもたらし、激しい戦闘時における気化器のフロートに起因する問題を解消した。それらは同時期にダイムラー・ベンツによって開発された同様の直噴システムと競い、戦後、設計局はレシプロ、ターボプロップ、ジェット機の燃料装置の設計を継続するためにヴォロネジへ移転した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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