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ガマール・アブドゥル=ナーセル : ミニ英和和英辞書
ガマール・アブドゥル=ナーセル[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ガマール・アブドゥル=ナーセル : ウィキペディア日本語版
ガマール・アブドゥル=ナーセル[ちょうおん]

ガマール・アブドゥル=ナーセル(, ラテン文字表記: , Gamal Abdel Nasser, 1918年1月15日 - 1970年9月28日)は、エジプト軍人政治家。第2代エジプト共和国大統領汎アラブ主義を主張し、1958年、エジプトとシリアから成るアラブ連合共和国を建国してその初代大統領に就任した。
日本ではナセルという表記が一般的であるが、ナセル(ナーセル)は父の名アブドゥルナーセルの後ろ半分で、姓ではない(参考:イスラム教圏の名前)。
== 経歴 ==

=== 反英運動への参加と自由将校団の結成 ===

ナーセルは1918年、エジプト北部・地中海沿岸の都市アレクサンドリアにおいて、郵便局長の息子として生まれた。ナーセル出生時のエジプトはオスマン帝国から独立したものの、イギリス保護国となっていた。ナーセルは成長するにつれ、エジプトの解放を目指す民族運動に関心を寄せていったといわれる。1935年11月12日には学生デモに参加、警察に捕らえられ、エジプト社会党(後のエジプト共産党)のメンバーとともに2日間拘留された。
1939年、陸軍士官学校卒業後、ナーセルは英・エジプト共同領英埃領スーダンでの勤務を申し出て、同地に赴任した。第二次世界大戦が勃発すると、エジプト解放を目指したナーセルはアンワル・アッ=サーダートと共にイギリスの敵国であるイタリアの数人の諜報員と接触し、イタリア軍がエジプトに侵攻した時と同時に反英軍事クーデターを起こすことを計画した。だが、この計画は頓挫し、失敗に終わる。
1948年イスラエルの建国を契機に第一次中東戦争が始まると、少佐としてアラブ連合軍に従軍する。しかし、アラブ連合軍はイスラエルに敗北し、ナーセルも負傷してエジプトに帰国した。その後、反英愛国の将校の組織である自由将校団を結成し、実質的指導者となる。自由将校団の勢力拡大を図るナーセルは、第一次中東戦争で活躍した将軍ムハンマド・ナギーブを自由将校団の首班として迎え、軍部での支持拡大を進めていった。
1952年7月23日、自由将校団はクーデターを起こして国王ファールーク1世を追放し、権力を掌握した。そして、翌年には王政を廃止し、共和政に移行した(エジプト革命)。ナーセルは副首相内務大臣に就任し、ナギーブを議長とする革命指導評議会の中心メンバーとして実権を握った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガマール・アブドゥル=ナーセル」の詳細全文を読む




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