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ガイウス・マリウス : ウィキペディア日本語版
ガイウス・マリウス

ガイウス・マリウス(、紀元前157年 - 紀元前86年1月13日)は、共和政ローマ末期の軍人、政治家。同名の祖父・父と区別してガイウス・マリウス・ガイウスフィリオ・ガイウスネーポ(Gaius Marius C. f. C. n.)、あるいは息子である小マリウスに対して大マリウス(Marius Major)とも呼ばれる。
平民出身の軍人としてキンブリ・テウトニ戦争で歴史的勝利を収め、合わせて大規模な軍制改革を行った。軍制改革では市民兵制から職業軍人への切り替え、武器自弁から装備の一律支給、訓練内容や指揮系統の改革、果ては退職金制度や鷹章旗の制定まで多岐に亘る改革を成し遂げた。この制度は帝政時代を含めて長らくローマの軍事制度として継承された。政治的にはポプラレス(民衆派)の英雄として共和制末期に計7回の執政官就任を果たし、一時は独裁的な権限すら獲得していた。彼の民衆派の指導者としての地位と活躍、及び革新的な軍制改革はローマを帝政へと導く遠因の1つとなる。
彼の妻であるユリア・カエサリアはガイウス・ユリウス・カエサルの叔母であり、マリウスは外伯父としてカエサルの政治基盤に多大な影響を残した。
== 生涯 ==

=== 出自 ===
紀元前157年ラティウム地方の都市アルピヌム(現:アルピーノ)に同名の父ガイウスと母フルシニアとの間に生まれた。グラックス兄弟の中間でほぼ同年代である他、マルクス・トゥッリウス・キケロとは同郷者であった(キケロのマリウスへの評価は#同時代人の評価を参照)。この地域の住民はラテン系の都市が存在した事からラテン市民権が与えられていたが、ローマ市民権に格上げされたのは紀元前188年になってからという新興地域であった。マリウスは多くのローマ人が持っているような『個人名+氏族名+家族名』の3つでなく『個人名+氏族名』の2つしか持たなかった〔Hildinger, Erik (2002). "Chapter 5: The Jugurthine War". Swords Against the Senate: The Rise of the Roman Army.〕。
ローマでは出身氏族の名が遠い祖先を示す名字として、個々人を識別する個人名が名前として機能した。その上で高い業績を過去に上げたものが、他の氏族の名乗りを用いる人々と自己と区別する為に家族名を用いた。従って家族名を持たなかった人々は「無名の一族」(ノウス・ホモ)であったという事であり、ガイウス・マリウスはまさにそうした出身であった。通説では貧農の家柄であったとされるが、単に大功を挙げた血族がいなかっただけで、それなりの地位(騎士階級など)ではあったという説がある。
加えて出身氏族であるマリウス氏族についても無名に近く、数ある氏族の中でも権威の無い一門であった。マリウス氏族が歴史に良く知られた名族となるのは彼の登場によってである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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