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カンプ・ノウ : ウィキペディア日本語版
カンプ・ノウ

カンプ・ノウ(、発音はカム・ノウCamp Nouの発音 〕)は、スペインカタルーニャ州バルセロナにあるサッカー専用スタジアム。正式名称は2001年までだったが、一般的には早い時期から「新しいスタジアム」を意味するカンプ・ノウと呼ばれていた。これはそれまで使用していたカム・ダ・ラス・コルツ()に代わる新しいものであったことから付けられたものである。2000-2001シーズン、クラブはカンプ・ノウを正式名称にするか「ソシオ」に郵便により諮問した結果、クラブに届いた29,102通の68.25%に当たる19,861通が賛成したためカンプ・ノウ(エスタディオ・カンプ・ノウ Estadio Camp Nou)が正式名称となった。
== 歴史 ==
1957年9月24日完成。リーガ・エスパニョーラに所属するFCバルセロナのホームスタジアム。
1960年代から1970年代にバルセロナの人口は急増し、住宅需要が高まっていた。それに先駆け、FCバルセロナは、永代所有財産解放令(メンディサバル法)の適用を受け、ラス・コルツの土地を売却し、ホームスタジアムを郊外に移転し、新しいスタジアムである「カンプ・ノウ」を建設した。これはスポーツ施設に対する同法適用の第一号である。本拠地の郊外移転でFCバルセロナは莫大な不動産利益を獲得することになり、これがクラブチームの経営の経済基盤となった。またラディスラオ・クバラシャーンドル・コチシュラモン・ビジャベルデエバリストらの1950年代FCバルセロナ黄金期に、その人気の後押しも新スタジアム建設の後押しとなり、FCバルセロナはカンプ・ノウを中心に周辺にサッカーを中心とした娯楽施設を整備していく〔岡部明子『バルセロナ 地中海都市の歴史と文化』中央公論新書、2010年、中央公論新社〕。
1954年3月28日に6万人のファンの見守る中、当時のバルセロナ市長によって最初の礎石が置かれ、バルセロナ大司教によって祝福された。建設期間は3年に及び予算は当初の3.36倍にも膨れ上がった。1957年、9月24日の落成にはゲオルク・ヘンデルの『ハレルヤ』が演奏され、こけら落しの試合はFCバルセロナとレギア・ワルシャワとの親善試合であり、これは4対2でFCバルセロナが勝利し、新しいスタジアムの始まりに花を添えた。
収容人数は当初93,053人であったが1982年のスペイン・ワールドカップ時には120,000人まで増やした。その後、90年代に入りFIFAの規則により立見席が禁止されたことにより1990年代終わりには99,000人が境界となった。クラブのホームページによると現在は99,354人で欧州最大となっている。1982年スペインワールドカップでも使用された。
UEFAが選定するスタジアムのレベルも最高クラスであり、過去には1999年にUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦がここで行われた(カンプ・ノウの奇跡)。
スタンドの景観はもとよりピッチの水捌けまで計算されている。ピッチは肉眼では分からない位アンジュレーションが付いていてほんのわずかだけ真ん中が高く、外に行くにつれてだんだん低くなる設計がされており水が流れ出るようになっている。
スタンドについては一階以外はどの角度から見ても全体を見渡せるようになっている。
2014年1月にスタジアムの全面改築が発表され、建て替え・移設はせず、10万5000人規模の屋根付きスタジアムに改築される。2017年に建設を開始し、2021年に完成予定で、総工費は六億ユーロとされている。2016年3月に設計競技コンペの結果、日本の日建設計が当選した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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