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カリアリ・カルチョ : ミニ英和和英辞書
カリアリ・カルチョ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


カリアリ・カルチョ : ウィキペディア日本語版
カリアリ・カルチョ

カリアリ・カルチョ()は、イタリアカリャリサルデーニャ島)を本拠地とするサッカークラブである。2015-16シーズンはセリエBに所属。
1969-70シーズンにエースストライカーのルイジ・リーヴァを擁しセリエAで優勝。しかし近年はセリエAとセリエBを行き来するシーズンが続いている。なお、しばしば「カリャーリ」、「カッリャリ」などと表記されることもある。
==チェッリーノ会長と監督 ==
カリアリのマッシモ・チェッリーノ会長は、パレルモマウリツィオ・ザンパリーニ会長やリヴォルノアルド・スピネッリ会長と並んで、セリエA屈指の名物会長として知られており、他の名物会長の例に漏れず監督関連のエピソードは事欠かない。
まず、監督交代が非常に多いことで有名で、年間3~4回の監督交代も珍しくない。
2005-06シーズンは、開幕前に就任したアッティリオ・テッセルを開幕戦で破れた直後に解任し、前シーズン指揮を執っていたダニエレ・アッリゴーニを呼び戻すも2節終了後に辞任し、第3節にしてシーズン3人目の指揮官が指揮を執るという極めて異常な事態に陥った。その3人目のダヴィデ・バッラルディーニも成績不振でシーズン中盤にチームを去り、4人目のネド・ソネッティでようやく落ち着いた。
2006-07シーズンは、マルコ・ジャンパオロが開幕から指揮を執るが、クラブ上層部と揉め事を起こし、シーズン中盤に解任するも、後任のフランコ・コロンバ就任後、チームは極度の成績不振に陥ったため、ジャンパオロを再任させて事なきを得た。
2007-08シーズンもジャンパオロがそのまま引き続き指揮を執ったものの、主力を大量に失った穴を埋めきれず序盤から低迷し解任される。後任には、05-06シーズンにチームを残留へと導いたネド・ソネッティを招聘するものの、低迷を続け、ソネッティを解任しジャンパオロ復任を目論むも、ジャンパオロが復任を拒否。その為、クラブはとりあえずソネッティを留任させたものの、またすぐに解任し、ダヴィデ・バッラルディーニが指揮を執ってクラブを残留に導いた。バッラルディーニもその功績にもかかわらず留任せず、若手のマッシミリアーノ・アッレグリが招聘された。
2011-12シーズンは、開幕前の2011年8月12日ロベルト・ドナドーニを解任し、マッシモ・フィッカデンティを招聘したものの、低迷を続け、フィッカデンティを解任し、バッラルディーニが復任したものの、またすぐに解任し、フィッカデンティを再任させて事なきを得た。
チェッリーノ会長の行動には批判が多いものの、監督交代の成功率が非常に高く、結果的に戦力の貧弱なカリアリをセリエAに残留させ続けている手腕は賞賛に値するものである。2004-05シーズンには、セリエC1でしか実績を残していないアッリゴーニを招聘して大旋風を巻き起こしたことを皮切りに、2007-08シーズンにはほぼ降格が確実な情勢から、トップチームで指揮を執った経験のないバッラルディーニを起用して奇跡的な残留を遂げたり、アッレグリも下部リーグでしか経験のない監督で、就任当初40歳と若いことから能力を疑問視されていたが、結果的には上位進出を果たすなど、無名の新人監督に機会を与えて成功させており、保守的でベテラン監督が起用されやすいプロビンチャでは非常に珍しい監督人事を行っている。
以前からのホームスタジアムであったスタディオ・サンテーリアの老朽化の問題からカリャリより遠く離れたトリエステスタディオ・ネレオ・ロッコでたびたび主催試合が行われている。2012-13シーズンからスタディオ・イス・アレナスをホームとしているが、安全面で問題があるとして観客の収容が認められず、ホーム開幕戦となった第2節アタランタBC戦は無観客試合となった。続くASローマ戦でも無観客試合が通達されていたがチェッリーノはこれに従わずサポーターに来場を促したため、試合は延期され、後日3-0でローマの不戦勝とされた〔ローマ、延期のカリアリ戦は3-0での勝利が確定 Goal.com 2012年9月25日〕。これらの失態とチームの不振を問われる形でフィッカデンティは解任された。後任には、クラブOBのイヴォ・プルガに、アシスタント・コーチにはディエゴ・ロペスが就任。2013-14シーズンからはディエゴ・ロペスがコーチから昇格した形で指揮を執ることとなった。
そしてカリアリは2014年7月11日、クラブのすべての株式を「Fluorsid Group」が取得すると公式サイトで発表。22年に渡りオーナーを務めていたチェリーノ会長が、ついにカリアリを手放すことになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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