翻訳と辞書
Words near each other
・ エドワード・キッツィス
・ エドワード・キャドバリー
・ エドワード・キャンビー
・ エドワード・キャヴェンディッシュ (第10代デヴォンシャー公)
・ エドワード・キャヴェンディッシュ (第10代デヴォンシャー公爵)
・ エドワード・キング (初代キングストン伯)
・ エドワード・キング (初代キングストン伯爵)
・ エドワード・キーン
・ エドワード・ギブソン (初代アシュバーン男爵)
・ エドワード・ギブソン (初代アシュボーン男爵)
エドワード・ギボン
・ エドワード・クック
・ エドワード・クック (陸上選手)
・ エドワード・クランシー
・ エドワード・クラーク
・ エドワード・クーパー (市長)
・ エドワード・グランヴィル・ブラウン
・ エドワード・グリーグ
・ エドワード・グリーン
・ エドワード・グレイ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エドワード・ギボン : ミニ英和和英辞書
エドワード・ギボン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

エドワード・ギボン : ウィキペディア日本語版
エドワード・ギボン[ちょうおん]

エドワード・ギボン(, 1737年5月8日〔当時イギリスで採用されていたユリウス暦の日付では4月27日。〕 - 1794年1月16日)は、イギリス歴史家で、『ローマ帝国衰亡史』の著者である。
== 経歴 ==
ロンドン近郊のパットニー(Putney)で富裕ではないが比較的裕福な、ハンプシャーに領地を持っている家庭に生まれた。エドワードはギボン家唯一の子息で、10歳にして母親を失い、その後は伯母に育てられた。彼は子供時分、体が強くなかった。14歳になると父親は彼をオックスフォード大学に入れた。後年、彼はこの出来事について、「(父は)慎重さからというよりも当惑から、準備もなく、また遅らせることも無く、私をオックスフォードへ連れていった。そして私はかの大学のモードリンカレッジ(Magdalen College)の紳士階級の一般学生として入ったわけだが、それは私が15歳という年齢を終える前の出来事であった」と語っている。
父親は若かりし頃の彼が信仰をローマカトリック教会へ傾けかけた時、不安に思った。その頃のオックスフォード大学では宗教論争が激しく、イギリスで紳士階級の人間がカトリックへ改宗するというのは18世紀の当時、人生においてとてつもない意味を持っていた。紳士階級社会の多くからは排斥されるであろうし、また昇進が望めるような門は閉ざされる、ということである。それを恐れた父親は息子を大学から追い出し、彼をスイスローザンヌに住むプロテスタントの牧師であり個人教授も行っていたパヴィリアード(M. Pavilliard)の元へ送った。彼がローザンヌで受けた教育は終世、彼に大きな影響力を持った。彼は覚え書きにこう書いている。「我が教育の成したものがなんであろうと、それらは私をローザンヌへ追いやった幸運な追放のたまものである。……''(英語版からの訳より)''


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・ギボン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.