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エサルハドン : ミニ英和和英辞書
エサルハドン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


エサルハドン : ウィキペディア日本語版
エサルハドン
エサルハドンEsarhaddon、在位:紀元前681年 - 紀元前669年)は新アッシリア王国時代に、その絶頂期を統治したの一人である。アッカド語ではアッシュール・アハ・イディナ(Ashur aha iddina )と表記される。
== 来歴 ==

=== 王位継承戦争 ===
エサルハドンは、アッシリア王センナケリブの末子として王妃の一人ナキア(ザクトゥ)との間に生まれた。幼少期より病弱であったと伝えられる。紀元前694年に長兄アッシュール・ナディン・シュミエラム()との戦いで行方不明になったため後継問題が生じ、ナキアの尽力によって後継者に指名されたが、これを心良く思わなかった他の兄達と対立した。
彼自身が残した碑文によれば、兄達によって盛んに讒言がなされたために身の危険を感じ、首都を脱出して身を隠した。この時恐らく現在のアナトリア南東部付近まで亡命した(追放説あり)。そして紀元前681年センナケリブが他の兄達によって暗殺されると、エサルハドンは王位継承戦争を戦い、ハニガルバトで兄達の軍を破って勝利してニネヴェに戻った。これらの6週間あまりの戦いの後アッシリア王位を獲得した。〔Ernest A. Budge, "The History of Esarhaddon, King of Assyria, B.C. 681-688", (2010) ISBN 110801710X〕
敵対した兄達を殺害した後、エサルハドンは父王センナケリブが破壊したバビロン市の再建に取り組んだ。現在残されているバビロンの遺跡は殆ど彼が再建した後のバビロンである。このバビロン再建はバビロニアとの緊張緩和を齎し、バビロニア地域の反乱は彼の治世中目立って発生することはなかった。そして彼もまた歴代のアッシリア王と同じく盛んに軍事遠征を起こした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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