翻訳と辞書
Words near each other
・ ウマハノフ・アルトゥール
・ ウマパラチフス
・ ウマヘルペスウイルス4型
・ ウマラー
・ ウマル
・ ウマル1世
・ ウマル2世
・ ウマル2世 (ウマイヤ朝)
・ ウマルコート
・ ウマルコート城
ウマル・イブン・ハッターブ
・ ウマル・イブン=ハッターブ
・ ウマル・カイヤーム
・ ウマル・カラバネ
・ ウマル・カラーミー
・ ウマル・ハイヤーム
・ ウマル・ハイヤーム (小惑星)
・ ウマル・ハン
・ ウマル・ハーン
・ ウマル・バシール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ウマル・イブン・ハッターブ : ミニ英和和英辞書
ウマル・イブン・ハッターブ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウマル・イブン・ハッターブ : ウィキペディア日本語版
ウマル・イブン・ハッターブ[ちょうおん]

ウマル・イブン・アル=ハッターブ( , 592年? - 644年11月3日)は、初期イスラーム共同体ウンマ)の指導者のひとりで、第2代正統カリフ634年 - 644年)。
== 生い立ち ==

アラビア半島西部の都市マッカ(メッカ)に住むアラブ人クライシュ族に属するアディー家の出身で、若い頃は武勇に優れた勇士として知られていた。610年頃、クライシュ族の遠い親族であるムハンマド・イブン・アブドゥッラーフイスラーム教を開くと、ウマルはクライシュ族の伝統的信仰を守る立場からその布教活動を迫害する側に回った。伝えられるところによれば、血気盛んな若者であったウマルはある日怒りに任せてムハンマドを殺そうと出かけたが、その道すがら自身の妹と妹婿がイスラームに改宗したと聞き、激怒して行き先を変え、妹の家に乗り込んで散々に二人を打ちすえた。しかし、ウマルは兄の前で妹が唱えたクルアーン(コーラン)の章句に心を動かされて改悛し、妹を許して自らもイスラームに帰依した。ウマルがムスリム(イスラーム教徒)となると、クライシュ族の人々はウマルの武勇を怖れてムハンマドに対する迫害を弱め、またマッカで人望のあるウマル一家の支援はマッカにおいて最初期の布教活動を行っていたムハンマドにとって大いに助けとなったといわれている。
622年にムハンマドらムスリムがマッカを脱出し、ヤスリブ(のちのマディーナ(メディナ))に移住するヒジュラ(聖遷)を実行したのちは、マディーナで樹立されたイスラーム共同体の有力者のひとりとなり、イスラーム共同体とマッカのクライシュ族の間で行われた全ての戦いに参加した。また、夫に先立たれていたウマルの娘ハフサはムハンマドの4番目の妻となっており、ムハンマドの盟友としてウマルは重要な立場にあったことがうかがえる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ウマル・イブン・ハッターブ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.