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ウィール : ミニ英和和英辞書
ウィール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウィール ( リダイレクト:車輪 ) : ウィキペディア日本語版
車輪[しゃりん]

車輪(しゃりん、 ホイール、ウィール)とは、にとりつけた円形(の外周)の部品のこと。
小さな力で物を移動させるために用いられる。
車輪が無いと、1. 物を持ち上げつつ移動させるか、2. あるいは物を地面・床面に接触した状態で押したり引いたりしなければならない。1の場合、持ち上げる(持ち上げ続ける)のに大きな力を要する。2.の場合、すべり摩擦よりも大きな力で押したり引いたりしなければならなくなる。車にはたらく摩擦は「転がり摩擦」で、これはすべり摩擦よりも遥かに小さく、遥かに小さな力で押す(引く)だけで移動させることができる。
たとえば、普通自動車(おおむね1トン超)でも、車輪がついていてブレーキさえ解除していれば、男性が独りで押しているとゆっくりと動き出すほどに転がり抵抗は小さい。もしも車輪がついていなかったら、男性1人で1トンのものは持ち上げることができず移動させられない。また通常の地面に車輪無しの1トンの鉄の箱が接触した状態では、1人の男性では押したり引いたりして移動させることは不可能である。車輪の ある/なし でそれほどの差がある。
また、中型ジェット旅客機のように重いものですら、車輪が出ていてブレーキが解除してあれば男性一人が引いて、数メートルほどなら移動させることができるほどに、転がり摩擦というのは小さい(そもそもそれほどに小さいからこそ、ときどきテレビなどで男性がジェット機を引いて、さも「怪力」であるかのようなフリをする、というパフォーマンスができるのであり、実は、少し力が強い、という程度の人でも移動させられる。)。
ピラミッド石材運搬時に、丸い材木(ころ)を下に敷いて運搬を効率化したような例は、古くから行われていたと想像できるが、円盤状の板材の車輪に車軸を通して回転可能にした構造は、人類発明の中でも偉大なものの一つであるといわれることもある。
一般的に言う「車輪」「ホイール」はタイヤチューブまで回転部分全てを指す。が、これら軟質の部品を含まない、硬質の部分だけでもやはり「wheel ホイール」と言う。(この記事中で、一部、硬質の部分だけを指している箇所がある。)
== 歴史 ==
車輪は最古の最重要な発明とされており、その起源は古代メソポタミア紀元前5千年紀ウバイド期)にさかのぼり、元々は轆轤(ろくろ)として使われていた。その北方のカフカースでは洞窟がいくつか発見されており、そこに紀元前3700年ごろから荷車などが使われていた痕跡が見つかっている。これは(紀元前3400-2000ごろ)の草創期にあたる。車輪のある乗り物(ここでは四輪で軸が2つあるもの)と思われる最古の絵は、ポーランド南部で出土した紀元前3500年ごろのものと思われる Bronocice pot に描かれたものである〔Waza z Bronocic (in Polish) 〕。
車輪は紀元前4千年紀にはヨーロッパ西南アジアに広まり、紀元前3千年紀にはインダス文明にまで到達した。中国では紀元前1200年ごろには車輪を使った戦車が存在していたことがわかっている〔Dyer, Gwynne, War: the new edition, p. 159: Vintage Canada Edition, Randomhouse of Canada, Toronto, ON〕。ただし Barbieri-Low (2000) によれば、紀元前2000年ごろには中国に車輪つきの乗り物があったという。東アジアで独自に車輪を発明したのか、ヒマラヤという障壁を越えて車輪が伝わったのかについては、まだ結論が出ていない。

オルメカや他の西半球文化では、インカ文明まで含めて車輪を発明しなかったが、紀元前1500年ごろの子供用の玩具と思われる岩石製の車輪状の物体が出土しており、車輪の発明に近づいていたと見られている。ヌビアの古代遺跡では轆轤や水車が使われていた〔CRAFTS; Uncovering Treasures of Ancient Nubia; New York Times 〕〔Ancient Sudan: (aka Kush & Nubia) City of Meroe (4th B.C. to 325 A.D.) 〕。ヌビアの水車は水汲み水車であり、牛を使って回していたと見られている〔What the Nubians Ate 〕。またヌビアではエジプトから馬に引かせる戦車も輸入していたことがわかっている〔The Cambridge History of Africa 〕。
車輪の発明は新石器時代末のことであり、青銅器時代初期の他の技術の進歩と連携して語られることもある。これは、農耕の発明後も車輪のない時代がしばらく続いたことを意味している。さらに言えば、古人類学では解剖学的に現代人と変わらない人類が生まれた時期を15万年前としており、車輪のない時代は14万3千年も続いたことになる。車輪を発明するずっと以前から、我々と能力に差がない人類が地球上を歩き回っていたが、その時代の人口は非常に少なく、車輪を構成する車軸や軸受けは見た目ほど単純な装置ではない。また、車輪付きの乗り物は家畜に引かせて初めて威力を発揮する。牛が家畜化されたのは紀元前8000年ごろ、馬が家畜化されたのは紀元前4000年ごろだった。ユーラシア大陸では、馬が家畜化されて初めて車輪が真価を発揮するようになった。また車輪を製造し釣り合わせるには車大工の技量を必要とし、車大工が職業として成立するには社会の成熟が必要だった。
車輪が広く使われるようになるには、平坦な道路が必要だった〔How The Wheel Developed 〕。でこぼこ道では、人間が荷物を背負って運ぶほうがたやすい。そのため、平坦な道路がない未開発地域では、20世紀に入るまで車輪を輸送手段に使うことはなかった。
初期の車輪は木製の円盤であり、中心に車軸を通すための穴があった。木材の性質上、木の幹を水平に輪切りにしたものは強度がなく、縦方向に切り出した板を丸くしたものが必要だった。

地面からの衝撃を和らげるスポークのある車輪の発明はもっと最近で、それによって軽量で高速な乗り物を作れるようになった。現在知られている最古の例はアンドロノヴォ文化のもので、紀元前2000年ごろである。そのすぐ後に、カフカース地方の騎馬民族が3世紀に渡ってスポークを使った車輪のチャリオットを馬に引かせるようになった。彼らはギリシア半島にも進出し、地中海の民族と交流した。ケルト人は紀元前1千年紀に戦車の車輪の外側にを巻きつけることを始めた。それ以降、車輪は大きく変化することなく使われ続け、1870年ごろに空気入りのタイヤと針金スポークの車輪が発明された〔bookrags.com - Wheel and axle〕。
車輪の発明は輸送手段以外のテクノロジー一般にとっても重要だった。例えば、水車歯車アンティキティラ島の機械参照)、糸車アストロラーベトルクエタムなどが車輪と関係が深い。さらに最近では、プロペラジェットエンジンフライホイールジャイロスコープ)、タービンなどが車輪を基本要素として発展していった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「車輪」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Wheel 」があります。




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