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ウィリアム・モリス : ミニ英和和英辞書
ウィリアム・モリス
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ウィリアム・モリス : ウィキペディア日本語版
ウィリアム・モリス

ウィリアム・モリスWilliam Morris, 1834年3月24日 - 1896年10月3日)は、19世紀イギリス詩人デザイナーマルクス主義者。多方面で精力的に活動し、それぞれの分野で大きな業績を挙げた。「モダンデザインの父」と呼ばれる。また、架空の中世的世界を舞台にした『世界のかなたの森』など多くのロマンスを創作し、モダン・ファンタジーの父と目される〔リン・カーター 『ファンタジーの歴史 - 空想世界』 中村融訳、東京創元社、2004年、28-29頁。〕〔デイヴィッド・プリングル編 『図説 ファンタジー百科事典』 日本語版監修 井辻朱美、東洋書林、2002年、13頁、372頁。〕。ロード・ダンセイニJ・R・R・トールキンにも影響を与えた〔デイヴィッド・プリングル編 『図説 ファンタジー百科事典』 日本語版監修 井辻朱美、東洋書林、2002年、13頁。〕。
== 経歴 ==

*1834年、ロンドン・シティの証券仲買人の子として生まれた。父は投資で巨額の富を得たが、モリス13歳のときに死去。
*聖職者になることを志し、オックスフォード大学に入学。ジョン・ラスキンの著書を愛読し、大きな影響を受けた。成年になり父の遺産を相続。友人エドワード・バーン=ジョーンズらとフランスに旅行し、芸術家を志望するようになった。
*1856年、建築家ストリートの事務所に入所、フィリップ・ウェッブと知り合う。事務所を辞めた後、インテリア装飾や詩集の自費出版などを行う。
*1859年ジェーン・バーデンと結婚、翌年フィリップ・ウェッブ設計の新居・レッド・ハウス(赤い家、1860年)に移る。
 * ジェーンはモリスの年長の友人である画家ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティをはじめとするラファエル前派のモデルで、2人はそこで知り合った。レッドハウスは、市街地から離れた郊外にあり、ジェーンが寂しさの余りノイローゼ気味になってしまったため数年後に転居した。
*1861年、モリス・マーシャル・フォークナー商会を設立し、ステンドグラス、家具などを制作。
*1865年、ブルームズベリに移転。叙事詩「地上の楽園」を1861-1870年に完成させ、詩人としても名声を得た。
*1871年、の邸宅を別荘として借りた。
*1875年、モリス・マーシャル・フォークナー商会を解散し、単独でモリス商会を設立。
*1878年ハマースミスに転居し、別荘のあったケルムスコットに因んで「ケルムスコット・ハウス」と名付けた。
*1883年、民主連盟に参加し、マルクスの『資本論』を読んだ。
*1885年、社会主義同盟を結成。
*1891年、ケルムスコットプレスを設立、美しい装丁の書物を出版した(後に『チョーサー著作集』などを刊行)。
*1892年、テニスンが死去し、モリスは桂冠詩人に推薦されたが辞退した。
*1896年、病気のため死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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