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イワン・コワレンコ : ミニ英和和英辞書
イワン・コワレンコ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


イワン・コワレンコ : ウィキペディア日本語版
イワン・コワレンコ
イワン・イワノビッチ・コワレンコ(Ivan Ivanovich Kovalenko, 1919年2月13日 - 2005年7月27日)は、ソ連ロシア政治家。元ソ連共産党国際部日本課長。
==来歴・人物==
ウラジオストク近郊に生まれる。1935年に国立極東総合大学東洋学部(卒業直前に国立極東大学に統合再編)に入学し日本の研究に取り組み始め、卒業後直ぐに軍隊に入りノモンハン事件の心理作戦に関わる。1940年に結婚し、相前後して政治部将校要員としてモスクワ高等教習所にて心理戦特別工作隊結成のための研修を受講。受講後は一旦対ドイツ戦線に派遣されるが、1943年に極東方面軍政治指導本部へ派遣されてハバロフスクの極東ソ連軍総司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキーの秘書となり、露日辞典の編纂に参加した。
第二次世界大戦後は、シベリアに抑留された日本人捕虜向けの『日本新聞』の編集長を務め旧日本兵の親ソ化工作を行った。1951年に軍隊を除隊し、モスクワでソ連共産党中央委員会付属社会科学アカデミーの東洋諸国労働運動・共産主義運動部部長となる。その後、対外文化交流国家委員会東洋諸国担当副議長(1956年)・ソ連共産党中央委員会国際部課長(1963年)として対日政策の立案で中心的な役割を負い、たびたび来日して勝間田清一日本社会党委員長ら政財界人や池田大作宗教関係者、三浦甲子二マスコミ関係者とも太いパイプを持っていた。ソ連崩壊直前の1990年心臓発作で入院し、翌年にはロシア科学アカデミー東洋学研究所で嘱託に退いた。
対日外交強硬派として知られ、「灰色の枢機卿」と呼ばれていた。著書『対日工作の回想』では、対日工作の中心目的は日本とアメリカの離間(日本の中立化)にあったとしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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