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イチロー : よみがなを同じくする語

Ichiro
Ichiro (エンジニア)
イチロー : ミニ英和和英辞書
イチロー
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イチロー : ウィキペディア日本語版
イチロー

イチロー(本名:鈴木 一朗〈すずき いちろう〉、1973年10月22日 - )は、愛知県西春日井郡豊山町出身のプロ野球選手外野手)。他表現では「Ichiro」「Ichiro Suzuki」「イチロー・スズキ」など。マイアミ・マーリンズ所属。血液型はB型。
NPBMLBの双方で多数の記録を保持している。MLBのシーズン最多安打記録や10年連続200安打などの記録がある。
夫人は元TBSアナウンサー福島弓子。義姉はアナウンサーの福島敦子。代理人は長年トニー・アタナシオが務め、現在はジョン・ボッグス
日本での愛称は「イチ」「天才バッター」。アメリカ合衆国での愛称は「魔法使い(Wizard)」「安打製造機(Hit Machine/Hitting Machine)」など。
== 経歴 ==

===プロ入り前 ===

1973年10月22日生まれ。この日は阪神甲子園球場巨人阪神を破りV9を達成した日だった。
二人兄弟の次男だが祖父「銀一」の名前から「一」の文字を受け継ぎ一朗と命名。祖父の孫には全て「一」の漢字が名前に付けられている。
小学校時代は地元の少年野球チーム・豊山町スポーツ少年団に所属。エースで4番として活躍。6年生の時に全国大会に出場。小学3年生の頃から学校から帰ると、父親と近くの公園で野球の練習に明け暮れた。学年が上がるにつれて、それだけでは満足できなくなり、町内にある空港バッティングセンターにほぼ毎日通い詰めていた。著書「イチロー物語」では、三年生の時には球速100キロの球を打ったとのこと。バッティングセンターに通いつめるあまり、普通の球速では満足できなくなり、イチロー用のスプリングを作って、行く前に電話したという。同センターにはイチロー専用8番打席が現在もある。なお、同時期に稲葉篤紀も同じバッティングセンターに通っていた。稲葉は「隣で同い年くらいの奴がめっちゃ速いボールを簡単に遠くまで飛ばしていた」と話している。
豊山町立豊山中学校では小学生時代の仲間と共に学校の野球部に所属。エースで中軸(主に3番)を打ち、中学3年の時に全日本少年軟式野球大会に出場し3位入賞を果たす。学校での成績も優秀で、学年では常にトップ10に入っていたという。地元・愛知の多くの高校から誘いが来たが、愛工大名電に進学する。
愛工大名電高校時代から地元では有名な選手で、愛知を代表する名門野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得(ポジションは三塁手で打順は主に1 - 3番) 。2年時に夏の甲子園(左翼手として出場)、3年時に春の甲子園(投手として出場)と2度甲子園に出場したものの、いずれも初戦敗退に終わっている。高校時代の監督は中村豪松井秀喜とはこの頃から練習試合を通じて面識があった。高校3年生の地方大会での打率が7割以上を記録していた程の打者だった。3年間の高校通算成績は536打数269安打打率.501、本塁打19本、二塁打74本、三塁打28本、盗塁131である。高校時代は投手だったが、交通事故(自転車での通学中に車と接触している)による怪我が原因で投手から野手転向を余儀なくされる。投手としても有力な選手として当時から名前が挙がっていた。
1991年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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