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イェーリング : ミニ英和和英辞書
イェーリング[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

イェーリング ( リダイレクト:ルドルフ・フォン・イェーリング ) : ウィキペディア日本語版
ルドルフ・フォン・イェーリング[ちょうおん]

ルドルフ・フォン・イェーリング(Rudolf von Jhering、Iheringとも、1818年8月22日 - 1892年9月17日)は、ドイツ法学者。1872年に出版された『権利のための闘争(Der Kampf ums Recht)』の著者。近代社会学的な法学の礎を築いた歴史学派の学者として出発したが、後に法学者として方向転換する。
== 生涯 ==
1818年8月22日アオリッヒで法学者の家に生まれた。彼の家系については、東フリースランド地方において、1561年まで遡る記録が存在する。1772年には、同地方のある町に、彼の先祖の一人に因んで、イェーリングスフェーンという名前が付けられている。
1836年ハイデルベルク大学に入学し、その後ゲッティンゲンミュンヘンでも大学生活を送り、1844年にベルリンで博士号を取得している。多く師事してきた中で、G.F.プフタ(Georg Friedrich Puchta)に受けた影響は大きかったようである。ベルリンでは博士号取得後も引き続き私講師として公開講座を担当した。そのときのテーマであったローマ法の精神は、イェーリングの生涯を通しての研究対象であったといえる。
バーゼル大学(1845年)、ロストク(1846年)、キール(1849年)、ギーセン(1851年)で教授職を歴任した後、1868年にウィーンへ移り住んだ。かの有名な「権利のための闘争(原題:Der Kampf ums Recht)」なる講演が行われたのもウィーンである。この講演は、出版後2年間で12版を重ね、26ヶ国語に翻訳された。本文に拠ると、権利に関してこう書かれている。
: ''「権利の生涯とは闘争なのだ - 民族の、国家権力の、階級の、そして個人の闘争である。実際、権利は衝突の表現としてのみ意味を持っており、人類が自らを飼いならそうとする努力の顕れなのだ。残念なことに、権利は権力・不正に対し、今日の理性的な世界ではあまり用いられることのなく、不快で卑しまれるであろう方法で対抗しようとした。というのも、権利が社会闘争を真に解決しようとしたことは、今までにただの一度もなかったのだ。それよりも、権利が目指したのは、ただ単に、最終的な決定が下されるまでの間、どのように争われるべきであるかを規則に定め、それらの闘争を穏やかなものにすることであったのである。」''
己の権利を明らかにすることは、すべての責任能力のある人間の自分自身にとっての義務であるとする彼の主張には、彼の確固たる性格、正義感の強さ、そして彼の方法論と論理が表れている。
彼の講義は、学生に限らず、さまざまな職種の社会人やかなりの高位にある官吏にいたるまで、大勢の聴講者が詰め掛けるほどの人気であった。その社会的地位は、ウィーンでは、オーストリア皇帝によって、末代まで続く貴族の称号(フォン)を受けるほどであった。
1872年、大都市での生活が次第に煩わしいものとなったらしく、招聘を受けてゲッティンゲン大学へと移り、その後ライプツィヒハイデルベルクからも招聘があったにもかかわらず、1892年9月17日に生涯を終えるまでゲッティンゲンで過ごした。
ゲッティンゲンでは、亡くなる直前まで活動を続けていた。彼の外見は、中背で髭はきれいに剃られ、着こなしは昔風、快活で人の良さがにじみ出ていた。彼の人柄が最もよく表れていたのは、彼が催す、身近な人々を自宅に招いての歓待の場であったようだ。
イェーリングは、民法のドグマの中で、契約以前に発生する賠償責任(通称Culpa in contrahendo)を“発見”した人間として知られている。
イェーリングが19世紀後半学術上もたらした功績は、方法論的には全く違ってはいるものの、同世紀前半のフリードリヒ・カール・フォン・サヴィニーのそれに近いものがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルドルフ・フォン・イェーリング」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rudolf von Jhering 」があります。




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