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アーサー・バーナード : ミニ英和和英辞書
アーサー・バーナード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アーサー・バーナード : ウィキペディア日本語版
アーサー・バーナード[ちょうおん]

アーサー・バーナードArthur Barnard1929年3月10日 - )は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手である。彼は、1952年に開催されたヘルシンキオリンピックの男子110メートルハードル走で銅メダルを獲得した。
== 経歴 ==
シアトルで生まれ、南カリフォルニア大学に進学した〔 2011年10月14日閲覧。〕。
彼は110メートルハードル走の選手として活躍したが、同時期にハリソン・ディラードジャック・デービスという強力なハードラーがいたため、主要な競技会での優勝には無縁だった。南カリフォルニア大学在学中の1951年に、NCAA主催競技会で3位になったのが目立つ程度だった。翌年AAUの競技会で5位に終わった後、彼はヘルシンキオリンピックのアメリカ合衆国代表選考会で3位に入って、代表の座を勝ち取った。
ヘルシンキオリンピックでの110メートルハードル走は、30人の選手が出場して7月23日(予選)、7月24日(準決勝と決勝)という日程で実施された。選手たちは6つの組に分けられて予選を競い、各組上位2名が準決勝に進むことになっていた〔但し、予選の組は、3人から6人までのまちまちの数で分けられていた。〕。バーナードは6組に出場し、14秒4(手動計時電動計時では14秒61)の記録で準決勝に勝ち残った〔Athletics at the 1952 Helsinki Summer Games:Men's 110 metres Hurdles Round One 2011年10月14日閲覧。〕。準決勝では1組に出場し、ディラードに次いで14秒2(手動計時、電動計時では14秒44)で決勝に進んだ〔Athletics at the 1952 Helsinki Summer Games:Men's 110 metres Hurdles Semi-Finals 2011年10月14日閲覧。〕。決勝は、準決勝で各組3位までに入った6選手がメダルを目指して競い合った。バーナードはスタートに失敗してしまったが、その後挽回して14秒1(手動計時、電動計時では14秒40)でディラード、デービスに続いて3位となり、アメリカ勢がメダルを独占する結果となった〔Athletics at the 1952 Helsinki Summer Games:Men's 110 metres Hurdles Final 2011年10月14日閲覧。〕〔Athletics at the 1952 Helsinki Summer Games:Men's 110 metres Hurdles 2011年10月14日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アーサー・バーナード」の詳細全文を読む




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