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アニメック : ウィキペディア日本語版
アニメック
アニメック
*ラポートが倒産するまで経営していたアニメショップ。通販部門のみ運営会社がアクシイズに交替して継続していたが、2007年12月末をもって新規受注を停止した。
*1978年から1987年にかけて発行されていたアニメ雑誌。ラポート刊。上記アニメショップが誌名の由来。本項で解説する。
*北海道標津郡中標津町にあるアニメ専門店 
*輸血の際に血液を温める装置
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アニメック』とは、1978年から1987年にかけて発行されていたアニメ雑誌。
== 概要 ==
1978年12月に『MANIFIC(マニフィック)』として創刊、当初は月刊。1号の発行部数は五千部。当時のラポートは出版社ではなく、書店で流通はせず直販だったため殆んど売れず、その在庫は当時の社長室を埋め尽くしたと言われる。また、3号は特集を予定していた作品の版権元からの許可が取れずに発行出来ず、やむを得ず3・4合併号として発行。
5号から隔月刊化。てこ入れとして、書店流通に移行、誌名を『Animec』と改めた。特集には、当時他のアニメ誌で大きく扱われていた『銀河鉄道999』を避け、編集長の趣味で東京ムービー制作の『宝島』を取り上げた。これが早々に完売した事から「趣味を押し出した方が売れる」と判断、6号からは更に編集長の独断と趣味で、当時はほとんど注目されていなかった『機動戦士ガンダム』を誌面の軸に据え始める。監督の富野由悠季らスタッフへのインタビューに加え、日本サンライズから設定資料を借り受け(当時は社外秘扱いではなく、また他誌ではあまり扱われていなかった)、それを活用した記事内容で注目され「評論と設定資料集の『アニメック』」という評価を固める。その策は功を奏し、発行部数も右肩上がりになる。『ガンダム』の放送打ち切りが決定した際にも富野由悠季が直々に提供した情報を元に大々的に特集を組んだ。その反響は予想以上であり、発行部数も10万部を越えたという。
1983年に再び月刊に戻った。しかし、1985年には大判でグラビア構成主体の競合誌として『月刊ニュータイプ』が創刊(初代編集長は、本誌の副編集長だった井上伸一郎)されたり、その時期から『ガンダム』に代表されるようなティーン層が視聴する性格の作品がテレビアニメから減少した(当時、「アニメ業界冬の時代」という言葉があり、休刊号には「春までお休み」というフレーズが記載されていた)ことなどの環境の変化で、アニメの番組素材よりも評論中心で誌面を支えるコアなアニメ雑誌の成立は困難となっていった。
1987年2月に休刊。休刊時に編集長はラジオ番組で、「(当時の)アニメ誌を出している中で一番小さな会社なんだし、よく今まで持ったものだ」とコメント、そして「春には復刊させたい」としていた。しかし、その年の春が過ぎても復刊は無く、再びコメントを求められた編集長は「季節の『春』ではなく『業界に春が来たら』という意味」と、回答に窮していた。休刊後もアニメック編集部はアンソロジーコミックやムックの編集部として会社倒産まで存在した。編集長はアニメック創刊から編集部がなくなるまで1度も交代せず、小牧雅伸が務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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