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アナトリア語派 : ミニ英和和英辞書
アナトリア語派[あなとりあごは]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
  1. (n,n-suf) language 2. word 
: [は]
  1. (n,n-suf) clique 2. faction 3. school 

アナトリア語派 : ウィキペディア日本語版
アナトリア語派[あなとりあごは]
アナトリア語派(アナトリアごは、Anatolian languages)とは古代小アジアアナトリア:現在のトルコ)で話されていたインド・ヨーロッパ語族の言語群で、すべて死語である。中でもヒッタイト語の資料が多く最もよく研究されている。その周辺で使われた言語もいくつか知られるが、これらについては資料が少ない。
== 起源 ==
アナトリア語派はインド・ヨーロッパ祖語(印欧祖語)から最も早期に分かれたとの説が有力で、一部では「インド・ヒッタイト語族」という言い方もされる。この時期については紀元前4千年紀半ばとするクルガン仮説があるが、さらに古いとする説(レンフリュー説、また語彙統計学による報告〔Russell D. Gray and Quentin D. Atkinson, Nature 2003, 426(6965):435-9.〕)もある。
クルガン仮説によれば、初期のアナトリア語派話者が黒海の北からアナトリアに移住したルートには2つの可能性がある:東のカフカス山脈を越えた可能性、および西のバルカン半島を経た可能性である。マロリー〔J.P. Mallory, ''In Search of the Indo-Europeans'', Thames and Hudson Ltd., London (1989).〕とスタイナー〔G. Steiner, ''The immigration of the first Indo-Europeans into Anatolia reconsidered'', Journal of Indo-European Studies 18 (1990), 185–214.〕によればバルカン説の方がやや優勢である。彼らがアナトリアに入ったのは紀元前2千年頃、またはそれ以前といわれる。
ただしコリン・レンフリューにより、印欧祖語の源郷をアナトリアとする説も提唱されている。この説をとれば移住を仮定する必要はない。その他アルメニアを源郷とする説をとれば、すぐ東から移動しただけということになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アナトリア語派」の詳細全文を読む




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