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アダルトビデオの歴史 : ミニ英和和英辞書
アダルトビデオの歴史[あだるとびでおのれきし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビデ : [びで]
 (n) bidet, (n) bidet
歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 

アダルトビデオの歴史 : ウィキペディア日本語版
アダルトビデオの歴史[あだるとびでおのれきし]

アダルトビデオの歴史(アダルトビデオのれきし、''history of adult video'')では、日本においてアダルトビデオ(通称AV)と呼称される性的興奮を呼び起すことを目的とした成人向けビデオの歴史について詳述する。
== アダルトビデオの誕生 ==
一般にアダルトビデオと呼ばれる作品の第一号として知られるのは日本ビデオ映像が1981年5月に発売した『ビニ本の女・秘奥覗き』及び『OLワレメ白書・熟した秘園』と言われている〔藤木p.16〕。この作品は日本で初めてビデオ撮りされたポルノ映像で、それ以前の日活ロマンポルノなど、劇場公開されるポルノ映画とは異なるまったく新しい独自の流通を目指した新商品として製作された作品であったことがその理由である〔。
このポルノ作品は業界に大きな波紋を広げ、1981年7月、にっかつビデオフィルムズは『生撮りシリーズ』を刊行した。同年11月、愛染恭子の『愛染恭子の本番生撮り 淫欲のうずき』が発売され、「本番」という演出法が男性を刺激し、2万本を超える大ヒットを記録した〔藤木p.46〕。この作品で一躍ビデオ作家としての確たる評価を得た監督の代々木忠は、1982年8月には『ドキュメント ザ・オナニー』シリーズを刊行、従来のビデオ撮りという手法は用いているもののそれまでのポルノ映画の演出法を引継いだ劇映画調の作品からの訣別を図った。
『ドキュメント ザ・オナニー』シリーズは81年にビニ本業界の大手、ハミング社がビデオ部門として設立した宇宙企画のビデオと共に後のアダルトビデオ業界の方向性を決定付けたとも言われており、『ビデオ・ザ・ワールド』(85年4月号)において中村正平は「お手軽ポルノドラマが全盛だったご時勢に宇宙企画の出した『素人生撮り』シリーズは"動くビニ本"といった趣を持つビデオとしてのメディアに覚醒した画期的なもので、ポルノビデオの方向性を決定付けた。このインタビューオナニー形式は代々木忠の『ドキュメント ザ・オナニー』シリーズで完成され、空前のセールスをあげた。」と評している〔中村〕。
中でも後のアダルトビデオという造語を創出した〔本橋小路谷秀樹は宇宙企画の初期人気作品を多数作り上げた監督の一人で、1982年の『女子高生素人生撮りシリーズ 美知子の恥じらいノート』や『SM体験 早見純子の場合』『実験SEXデート』などの作品を世に送り出してヒットさせ、アダルトビデオ市場は「ドキュメントもの」と呼ばれる作品が大半を占めるようになった〔。
当時、自主規制機関である日本ビデオ倫理協会は、3分以上の連続した性交描写を許可しておらず、ハードコアの表現を規制していた〔藤木p.95-97〕。こうした背景と、ビデオデッキの普及から裏ビデオと呼ばれる作品がブームを巻き起こす〔。こうしたビデオは家電量販店のビデオデッキ購入景品として出回り、『洗濯屋ケンちゃん』や田口ゆかりの『サムライの娘』『ザ・キモノ』などの作品が多くの庶民の手に渡った〔。表ビデオ業界はそれまでのドキュメントものやソフトコアでは対抗できないと危機感を募らせる。そんな中で1984年1月、宇宙企画が発売した『ミス本番 裕美子19歳』は、業界に大きな衝撃を与えた。それまでの表ビデオの作品にも本番を謳うものは存在していたが、旬を過ぎたワンランク下のモデルが担当するジャンルであり、SMやスカトロ同様のキワモノ的な扱いだった〔東良〕。ソフトヌードで充分通用するレベルのモデルが、いきなりハードコアでデビューするという、常識を覆した作品〔であった『ミス本番 裕美子19歳』は2万本を超える大セールスを記録し、『ミス本番』シリーズとして宇宙企画におけるトップブランドに君臨した。その後の小路谷秀樹の『私を女優にしてください「何でもやります」竹下ゆかり19歳』、『ミス本番 有希子めぐり逢い』などのヒットにより、女優の清潔感がセールスの上での重要な演出点であることが確立されると、本番の有無よりも女優としての質にこだわりが見られるようになり、1984年末から1985年にかけて、第一次美少女ブームと呼ばれる時代が訪れた。渡瀬ミク早川愛美永井陽子杉原光輪子森田水絵中沢慶子などの人気モデルに加え、いわゆる本番をしない小林ひとみ麻生澪秋元ともみなどの女優が誕生した〔藤木p.110〕。『ミス本番』で開放的なセックスを演じた吉沢有希子も早見瞳に改名後は本番を拒否し、『GORO』のインタビューにおいて、「そういうことは自分の好きな人とだけがいいと思います。」と述べている〔GORO〕。
「美少女が本番行為をする」という起爆剤で以って一般に広く認知されたアダルトビデオは、「美少女」の要素のみを拡大させて行き、やがて「擬似本番」という言葉とともに、直接の性行為からリアルな感情を引き出す演出法は衰退し、「アダルトビデオで演技をする人」いわゆるAV女優という言葉を生み出した〔藤木p.115〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アダルトビデオの歴史」の詳細全文を読む




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