翻訳と辞書
Words near each other
・ アイオワ州の都市圏の一覧
・ アイオワ州会議事堂
・ アイオワ州出身の人物一覧
・ アイオワ州出身著名人の一覧
・ アイオワ州知事
・ アイオワ州立大学
・ アイオワ州議会議事堂
・ アイオワ州選出のアメリカ合衆国上院議員
・ アイオワ準州
・ アイオワ級
アイオワ級戦艦
・ アイオワ郡
・ アイオワ郡 (アイオワ州)
・ アイオワ郡 (ウィスコンシン州)
・ アイオワ郡区
・ アイオワ郡区 (アイオワ州アラマキー郡)
・ アイオワ郡区 (アイオワ州シーダー郡)
・ アイオワ郡区 アラマキー郡 (アイオワ州)
・ アイオン
・ アイオン・スカイ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アイオワ級戦艦 : ミニ英和和英辞書
アイオワ級戦艦[あいおわきゅうせんかん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アイオワ : [あいおわ]
 《地名》Iowa アイオワ州
: [きゅう]
  1. (n,n-suf) class, grade, rank 2. school class, grade 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦艦 : [せんかん]
 【名詞】 1. battleship 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

アイオワ級戦艦 : ウィキペディア日本語版
アイオワ級戦艦[あいおわきゅうせんかん]

アイオワ級戦艦(アイオワきゅうせんかん、Iowa Class Battleship)は、アメリカ海軍戦艦。アメリカが建造した最後の戦艦の艦級であり、各国の戦艦の中で最後に退役した戦艦である。1943年から1944年にかけて就役した。同型艦はアイオワニュージャージーミズーリウィスコンシンの4隻。計画では6隻が建造予定であり、イリノイケンタッキーの2隻が建造中止されている。
ワシントン海軍軍縮条約を脱退した大日本帝国に対抗すべく、基準排水量45,000トンの戦艦を計画し、当初はサウスダコタ級の兵装と防御を強化した発展型案や、サウスダコタ級と同等の防御に12門の40.6cm砲の戦艦案や、サウスダコタ級と同等の攻防力を持った速い戦艦案等が考案され、最終的に排水量45,000トンで9門の40.6cm50口径砲と最大速力33ノットという、高速戦艦の艦容となった。
== 概要 ==

===計画===
1936年第二次ロンドン海軍軍縮会議から日本が脱退した。これを受け、同条約を批准した英米仏の三国は対応を協議し、1938年3月末にエスカレータ条項を発効した。この結果、第二次ロンドン海軍軍縮会議で定められていた戦艦の主砲口径と基準排水量の上限はそれぞれ14インチから16インチ、35,000トンから45,000トンへと拡大された。これに伴い、英米仏の戦艦保有制限枠も拡大されることになった〔#歴群米戦7章 148頁〕。
この時期、日本は条約制限を上回る46,000トン型の16インチ砲搭載戦艦隻、もしくはそれ以上の18インチ砲搭載戦艦を建造していると見なされていた〔。例えば、1937年版ジェーン海軍年鑑では『日本は現在35000トン主力艦4隻の建造を計画中であり、何れも16インチ砲装備のものであるが、1937年11月末までには1隻も起工せりとの報に接せず』、1938年版では『主力艦4隻の中2隻起工、排水量40000トン、16インチ砲8-9門装備』と紹介している。アメリカの新型戦艦は、日本海軍新型戦艦に対抗できる性能を持つ必要があると見なされていた。
一方で、当時の米国では「互いの偵察艦隊(空母機動部隊)の決戦で制空権を奪取したのち、味方制空権下で戦艦同士の砲撃戦を行うもの」と考えられており、艦隊決戦を優位に進めるためには航空決戦での勝利が前提条件と考えられていた。だが、日本の偵察部隊(=第二艦隊)に「金剛型戦艦」が配属されて空母部隊と遊撃作戦を実施したと仮定した際、日米の空母部隊が接触時、アメリカの重巡以下で構成された偵察部隊が砲戦で敗北することが懸念された。その為、空母決戦の構想が進むにつれ、空母部隊に随伴し金剛型を大きく上回る砲撃力及び防御力を持った高速戦艦が必要不可欠と考えられるようになった〔。また、同時に主力戦艦同士の砲撃戦となった場合でも、日本戦艦を速力で上回る高速戦艦を保有すれば優位に戦闘が進められるという判断もあった〔。
こうした観点から、新型戦艦の計画は排水量をエスカレータ条項で認められた上限である45,000トン級とし、二つの案で検討されることになった〔。一つはサウスダコタ級戦艦と同じ27ノットに抑える代わり、18インチ砲9門又は16インチ砲12門を備え攻防力を強化したスローバトルシップ「低速戦艦(Slow Battleships)」案。もう一つは特殊打撃部隊(Special Strike Force、空母機動部隊の原型)を引率して金剛型の撃破と敵戦線の圧迫を行い、更に味方艦隊を襲撃する可能性がある未知の敵艦隊を捜索し攻撃するため、サウスダコタ級と同等の攻防力を持った33ノットのファーストバトルシップ「高速戦艦(Fast Battleships)」案である〔〔Iowa Class Battleships: Their Design, Weapons and Equipment、p. 41〕〔US Fast Battleships 1938-91: The Iowa class、p. 5-6〕。
こうした判断が可能となったのは、米国の戦艦保有枠拡大に伴い主力となる中速戦艦を減らさずに高速戦艦が保有できるようになったということもあった。ちなみにフランス海軍ダンケルク級31ノットとリシュリュー級30ノット、イタリア海軍リットリオ級31ノット、ドイツ海軍ビスマルク級30ノットでヨーロッパは30ノットの高速戦艦が建造及び就役していた。
このスローバトルシップ案とファーストバトルシップ案の検討はエスカレータ条項の内容確定以前の1938年1月から開始された〔。スローバトルシップ案は各案が検討された上で例えば基準排水量45,495トン、全長243.84m、全幅32.99m、18インチ(45.7センチ)47口径砲3連装3基9門、速力27.5ノット、舷側装甲394mm、甲板装甲149mmという試案がある。大和型戦艦より2万トン軽く、パナマ運河通過可能(パナマックスとよばれる)で、砲力と速力が同等、装甲が薄いという内容である。しかし、高速戦艦を望むルーズベルト大統領の要求内容を満足させるために研究が中断された〔Battleships: United States Battleships, 1935-1992、p. 109-112〕 。 第二次世界大戦勃発により第二次ロンドン海軍軍縮会議が無効化されたことで、最終的には条約制限を大幅に超えるモンタナ級戦艦として、設計がまとめられた。
計画通りならワシントン海軍軍縮条約により中止された三年計画(Three years fleet plan)の23ノットのサウスダコタ級戦艦6隻と33ノットのレキシントン級巡洋戦艦6隻より強化された28ノットの戦艦モンタナ級5隻、33ノットの戦艦アイオワ級6隻で新しい戦艦部隊が完成したのだがモンタナ級戦艦は戦争の開戦後、航空母艦の威力を実感したフランクリン・ルーズベルト大統領の「戦艦より空母を優先すべき」という方針により建造されなかった。
一方、1938年2月8日、海軍上層部は艦船造修局に対して、サウスダコタ級と同等の攻防力を持ち33ノットを発揮できる高速戦艦の検討を命じた。その問いに対し、艦船造修局は基準排水量40,000トン程度で設計可能と返答した。これを受け、海軍上層部は3月10日にサウスダコタ級の高速化案をまとめるよう正式に命じた〔#歴群米戦7章 149頁〕。これがアイオワ級戦艦である。日本では超弩級戦艦として認識されていた〔#米超弩級戦艦進水p.1『右超弩級戦艦とは四萬五千トン級のものと推定され…』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アイオワ級戦艦」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.