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1999年のF1世界選手権 : ミニ英和和英辞書
1999年のF1世界選手権[1999ねんのえふ1せかいせんしゅけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
F : [えふ]
 ファロー四徴(症)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
世界選手権 : [せかいせんしゅけん]
 (n) world (an international) championship (title)
: [せん]
 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing 
選手 : [せんしゅ]
 【名詞】 1. (1) player (in game) 2. (2) team 
選手権 : [せんしゅけん]
 【名詞】 1. leading 2. top-rank 3. champion 
: [て]
 【名詞】 1. hand 
: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 

1999年のF1世界選手権 : ウィキペディア日本語版
1999年のF1世界選手権[1999ねんのえふ1せかいせんしゅけん]

1999年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第50回大会である。1999年3月7日オーストラリアで開幕し、10月31日日本で開催される最終戦まで、全16戦で争われた。
== 概要 ==

=== 4人のチャンピオン候補 ===

開幕戦オーストラリアGPではフェラーリエディ・アーバインが初優勝し、混戦のシーズンが幕を開けた。
マクラーレンの新車MP4-14は開幕から速かったが、信頼性は今ひとつで、前年度チャンピオンのミカ・ハッキネンは5戦連続ポールポジションを獲得しながらその間に2勝しかできなかった。フェラーリのミハエル・シューマッハも第6戦カナダGPでトップ走行中にシケインで単独クラッシュするなど波に乗れず、ハッキネンがシューマッハを8ポイントリードした状況で、シーズン折り返しの第8戦イギリスGPを迎えた。このレースでは、シューマッハのマシンがブレーキトラブルでクラッシュし、シューマッハは右足を骨折して戦線から離れることになった。
最大のライバル、シューマッハの離脱でハッキネンは楽になったかと思われたが、フェラーリの「代役エース」となったアーバインがチャンピオン争いに名乗りを上げた。第9戦オーストリアGPと第10戦ドイツGPを連勝し、その時点でポイントランキング首位に立った。ドイツGPでは、シューマッハの代わりに起用されたミカ・サロの好アシストもあった。
フェラーリとは対照的に、マクラーレンはチーム内の序列を決めなかったため、デビッド・クルサードもハッキネンの対抗馬となった。オーストリアGPではスタート直後にチームメイト同士が接触し、クルサードがハッキネンを押し出した。第13戦イタリアGPではハッキネンがトップ走行中に単独スピンしてリタイア。マシンを降りた後、コースサイドで悔し泣きする姿が映像に映し出された。
さらに第4の候補として、ジョーダンハインツ=ハラルド・フレンツェンが登場する。第7戦フランスGPでは雨中のタイヤ交換の好判断で優勝。ハッキネンが自滅したイタリアGPも勝ったため、3戦を残してハッキネンとアーバインが60点で並び、フィレンツェン50点、クルサード48点という大接戦になった。
第15戦マレーシアGPでは戦線復帰したシューマッハがブランクの影響を感じさせぬ走りでアーバインをアシストし、チャンピオン候補はアーバイン(70点)とハッキネン(66点)の2名に絞り込まれた。レース後、フェラーリがエアロパーツの寸法違反で失格となり、ハッキネンのチャンピオンが決まるかと思われたが、国際自動車連盟 (FIA) が処分を撤回し、最終戦日本GPを迎えた。日本GPではハッキネンが予選2位からスタートでトップに立ち、他を寄せ付けぬペースで完勝。3位に終わったアーバインを逆転して、2年連続ドライバーズチャンピオンに輝いた。
コンストラクターズ部門はチームの結束力をみせたフェラーリが獲得。以来続いた無冠状態にようやく終止符を打った。2位のマクラーレンに続き、ジョーダンがチーム史上最高となるランキング3位を獲得した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1999年のF1世界選手権」の詳細全文を読む




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