翻訳と辞書
Words near each other
・ 1979年のアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ
・ 1979年のイギリスサルーンカー選手権
・ 1979年のインディカー・シーズン
・ 1979年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
・ 1979年のスポーツ
・ 1979年のテレビ (日本)
・ 1979年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ
・ 1979年のバレーボール
・ 1979年のパシフィック・リーグプレーオフ
・ 1979年のメジャーリーグベースボール
1979年のル・マン24時間レース
・ 1979年のロードレース世界選手権
・ 1979年のワールドシリーズ
・ 1979年の世界ラリー選手権
・ 1979年の全日本F2選手権
・ 1979年の全日本F3選手権
・ 1979年の地域リーグ (サッカー)
・ 1979年の宝塚歌劇公演一覧
・ 1979年の広島東洋カープ
・ 1979年の政治


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

1979年のル・マン24時間レース : ミニ英和和英辞書
1979年のル・マン24時間レース[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
時間 : [じかん]
  1. (n-adv,n) time 
: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

1979年のル・マン24時間レース : ウィキペディア日本語版
1979年のル・マン24時間レース[ちょうおん]

1979年のル・マン24時間レース(''24 Heures du Mans 1979'' )は、47回目〔『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。〕のル・マン24時間レースとして、1979年6月9日から6月10日にかけてフランスル・マンサルト・サーキットで行われた。
== 概要 ==
コースが変更され、13.640km/周から13.626km/周となった〔〔『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。〕。
1978年のル・マン24時間レースで優勝したルノーは目的を達成し、予定通りフォーミュラ1に集中するためル・マン24時間レースには参加しなくなり、ポルシェに対抗できる車両は皆無となった〔『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。〕。
ポルシェのワークス、マルティニは去年とあまり変わらないポルシェ・936を2台持ち込み〔、その他プライベーターのポルシェ・935が多数出場〔し、ワンメイクレースのようになった〔。
日本からはマツダスピード童夢が出場し、これは初めての複数日本チーム参加となった〔。シグマ・オートモーティブ(現サード)が1973年から1975年まで参加して以来の日本チーム参加でもあった〔。
マツダオート東京は生沢徹/寺田陽次郎/クロード・ブシェ組が、シグマ時代に使用された10A型エンジンより一回り大きい13B型エンジンを搭載したマツダ・RX-7のシルエットフォーミュラであるマツダ・RX-7・252iを持ち込んだ〔『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.5-28「序章 - ハイ・ムーン・テンプル」。〕。当時シルエットフォーミュラはグループ5カテゴリーに属していたが大橋孝至は参加条件が有利になると判断しIMSA仕様に仕立て直した〔。チームはドライバーを含めても10人程の小世帯で、パリでインスタントラーメンを多量に購入してル・マンに入った〔。
童夢童夢-零の反響が大きく、プラモデルが爆発的に売れた〔。来年型の自動車製作を懇願する玩具メーカーに対し林みのるはル・マン24時間レースへの参戦を宣言、日本人がよくやるステップアップ型の方法を採らず、最初から行けるところまで行くつもりで全社員26人を6ヶ月間もレーシングカーの設計製作に動員した〔。シャシ設計は加藤眞の元でシグマのレーシングカーを設計していた小野昌朗、エンジンは当時フォーミュラ1で大活躍していたフォード・コスワース・DFVエンジンを使用し、童夢-零RLフォードを完成した〔。完成後ただちに富士スピードウェイで初走行、谷田部の日本自動車研究所で高速テストを経た〔。現場のレース運営はイギリス人のキース・グリーンに任せることとし、その元へ車両を送った〔。シルバーストン6時間レースではトランスミッションにトラブルを起こしながら12位完走を果たし高い能力を証明した〔。ル・マンには2台をエントリー、ドライバーも最初から日本人を使わず4人全員ヨーロッパ人とした〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1979年のル・マン24時間レース」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.