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1952年イタリアグランプリ : ミニ英和和英辞書
1952年イタリアグランプリ[1952ねんいたりあぐらんぷり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

1952年イタリアグランプリ : ウィキペディア日本語版
1952年イタリアグランプリ[1952ねんいたりあぐらんぷり]

1952年イタリアグランプリ (XXIII GRAN PREMIO D'ITALIA) は、1952年9月7日にモンツァ・サーキットで開催されたフォーミュラ2のレース。このレースは1952年のF1世界選手権の最終戦でもあったが、通常適用されるフォーミュラ1のレギュレーションでは無く、1952年と1953年はフォーミュラ2のレギュレーションが適用された。
==レース概要==
フェラーリによって支配された1952年シーズンは、1ヶ月前のドイツグランプリで既にチャンピオンが決定していた。タイトル争いが確定した後のレースではあるが、フェラーリはホームグランプリと言うことで5名のドライバーを投入、前戦オランダのトリオ - チャンピオンのアルベルト・アスカリニーノ・ファリーナルイジ・ヴィッロレージ - に加え、シーズンの様々なポイントでフェラーリをドライブしてきたピエロ・タルッフィアンドレ・シモンが参戦した。また、多くのプライベーターもフェラーリをドライブし、その中にはエキュリー・エスパドンのフィッシャースタックエキュリー・フランコルシャンシャルル・ド・トルナコルイ・ロジェピーター・ホワイトヘッドが含まれた。マセラティワークスは今シーズン初、唯一の参戦となり、フェリーチェ・ボネットフランコ・ロルフロイラン・ゴンザレスの3名を投入した。この他マセラティ・A6GCMを走らせたのはエスクーデリア・バンディランテスのビアンコカントーニランディの3名、一方エンリコ・プラーテは旧型の4CLT/48に自身で改良したエンジンを搭載し、トゥーロ・デ・グラッフェンリートアルベルト・クレスポ(デビュー戦であった)を走らせた。ゴルディーニは前戦と同じくベーラマンヅォントランティニアンの3名を起用し、一方プライベーターのジョニー・クレエシムカ・ゴルディーニを走らせた。HWMピーター・コリンズランス・マックリンを起用し、オーストラリア人ドライバーのトニー・ゲイズはプライベーターのHWMを走らせた。コンノートイギリスグランプリ以来の復帰となり、スターリング・モス(前戦ではERAをドライブしている)、デニス・プーアケネス・マッカルパインの3名を起用した。
このレースでは、24台のみ決勝参加が認められ、従ってエントリーした35名の内11名が予選落ちすることとなった。その中にはHWMの全員、フェラーリのプライベーター3名、エンリコ・プラーテの2名が含まれた。アスカリは3戦連続(シーズン5回目)のポールポジションを獲得、チームメイトのヴィッロレージとファリーナ、ゴルディーニのトランティニアンと共にフロントローを形成した。2列目はマセラティのゴンザレス、ワークスフェラーリの残り、タルッフィとシモン、ゴルディーニのロベール・マンヅォンが並び、3列目はコンノート勢トップのスターリング・モス、オスカをドライブするエリー・バイヨル、ワークスゴルディーニ勢最後のベーラ、クーパー-ブリストルマイク・ホーソーンが並んだ。残るワークスマセラティのボネットとロルは4列目、13位および16位からスタートすることとなった。
レースがスタートすると、フロイラン・ゴンザレスがレースをリード、アスカリは2位となった。ゴンザレスは36ラップに渡ってレースをリードしたが、ピットインするとフェラーリのアスカリとヴィッロレージがパス、1-2位を形成した。アスカリはレースの残りをリード、6連続で勝利を挙げた。ゴンザレスはヴィッロレージを捉え、今シーズン唯一のレースで2位に入った。ヴィッロレージは前戦に引き続いて3位に入る。ファリーナが僅差で4位に入り、フェリーチェ・ボネットは1周遅れで5位、ポイントを獲得した。残るワークスフェラーリのシモンとタルッフィは6位、7位に入った。
タルッフィはポイント圏外だったため、ランキングでニーノ・ファリーナを抜くことはできなかった。フェラーリはチャンピオンがアスカリ、チームメイトのファリーナとタルッフィがこれに続き、トップ3を独占した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1952年イタリアグランプリ」の詳細全文を読む




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