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ほう素 : ウィキペディア日本語版
ホウ素[ほうそ]

ホウ素(ホウそ、硼素、、)は、原子番号 5、原子量 10.81、元素記号 B で表される元素である。高融点かつ高沸点な硬くて脆い固体であり、金属元素と非金属元素の中間の性質を示す(半金属)。1808年ゲイ=リュサックルイ・テナールの2人の共同作業及びハンフリー・デービーによってそれぞれ個別に単体の分離が行なわれた。元素名はアラビア語で「ホウ砂」を意味する「 ''Buraq'' (ブラーク)」に由来する。
ホウ素は同じ第13族元素であるアルミニウムなどよりも第14族元素である炭素ケイ素に類似した性質を示す。結晶性ホウ素は化学的に不活性であり耐酸性が高く、フッ化水素酸にも侵されない。ホウ素の化合物は通常+3価の酸化数を取り、ルイス酸としての性質をもつハロゲン化物や、ホウ酸塩鉱物中で見られるホウ酸塩、三中心二電子結合と呼ばれる特殊な結合様式を取るボランなどがある。ホウ素には13の既知の同位体があり、天然に存在するホウ素は80.1%の11Bと19.9%の10Bからなっている。
ホウ素は地殻中の存在率が比較的低い元素であるが、鉱床を形成するため容易に採掘可能であることから人類による利用の歴史は長く、古くから釉薬として使われていた。現代ではガラス向けの用途に使われることが多く、2011年のホウ酸塩消費量のおよそ60%がガラス用として消費されている。その他、半導体のドーパント超硬度材料、音響材料、殺虫剤などに利用される。
植物にとってホウ素は細胞壁を維持するために必要な必須元素であり、ホウ素の欠乏によって成長障害が引き起こされる。動物にとっても必須元素であると考えられているが、その生物学的な役割はよく知られていない。ヒトや動物に対しては食塩と同程度に無毒な物質であるが、植物では高濃度のホウ素を含む土壌で葉の壊死などの障害が発生し、昆虫に対しては強い毒性を示す。
== 歴史 ==
ホウ素 (Boron) の名称は、ホウ砂を意味するアラビア語の' (buraq) もしくはペルシャ語の' (burah) に起源があるとされる。中国語では10世紀の「日華本草」にペルシャ語の音写としてホウ砂のことを「蓬砂」とした記述がみられ、14世紀には日本に伝来して「硼砂」と記されている〔。
ホウ素化合物の存在は数千年前には既に知られており、西チベットの砂漠から産出したホウ砂サンスクリット語でチンカルと呼ばれていた。西暦300年頃の中国では既に釉薬としてホウ砂が利用されており、8世紀ペルシャの錬金術師であるジャービル・イブン=ハイヤーンはホウ砂について言及していたとされている。13世紀には、マルコ・ポーロによってホウ砂釉薬を用いた陶磁器がイタリアへと持ち帰られた。1600年ごろにはアグリコラによって冶金学における融剤としての用途が記されている。現代においてホウ素の最大の用途ともなっているガラス向けの用途は1758年に出版されたドッシーによる「技芸の侍女」において初めて言及されているが、当時はホウ砂が高価だったこともありごく一部のガラスに使われていたに過ぎない〔斉藤 (1965) 3-4頁。〕。
1774年、イタリアのトスカーナ州州都フィレンツェ近郊のラルデレロで産出する地熱蒸気にホウ酸が含まれていることが分かり、ホウ酸工場が設立されて重要なホウ素資源として利用されたが、19世紀にはアメリカ大陸で大規模なホウ酸塩鉱物の鉱床が発見されたためその地位はアメリカに取って代わられた。ホウ素の生産が終了した後、ラルデレロでは高温の地熱蒸気を利用した地熱発電が行われている〔。ホウ素を含む鉱石としては、イタリアのサッソで発見された希少鉱石のがある。サッソライトは1827年から1872年までの間ヨーロッパにおけるホウ砂の主要な資源として利用されていたが、その後こちらもアメリカ産のものに取って代わられた。ホウ素化合物は1800年代まではあまり利用されることがなかったが、「ホウ砂王」とも呼ばれるのが初めてホウ素化合物の大量生産を行い安価で提供し、普及させた〔Hildebrand, G. H. (1982) "Borax Pioneer: Francis Marion Smith." San Diego: Howell-North Books. p. 267 ISBN 0-8310-7148-6〕。その後光学ガラスの大規模生産が始まると、ホウ砂はガラス工業において大量に消費されるようになっていった〔斉藤 (1965) 4頁。〕。
ホウ素に関する初期の研究としては、1702年に報告されたホウ砂と硫酸を反応させることによるホウ酸の合成や、1741年に報告されたホウ素が緑色の炎色反応を示すことの発見、1752年に報告されたホウ酸とナトリウムを反応させることによるホウ砂の合成などがある〔。単体のホウ素はジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックルイ・テナールの二人〔Gay Lussac, J.L. and Thenard, L.J. (1808) "Sur la décomposition et la recomposition de l'acide boracique," ''Annales de chimie'' Annales de chemie et de physique , vol. 68, pp. 169–174.〕と、ハンフリー・デービーがそれぞれ同時期に個別に単離に成功したが、それまでは単一の元素とは認められていなかった。1808年にデービーは、ホウ酸溶液に電気を通して電気分解することによって、一方の電極上に茶色の沈殿が生成されると記している。デービーはそれ以降の実験において、ホウ酸を電気分解する代わりにカリウムで還元させる方法を用いた。デービーはホウ素が新しい元素であることを確かめるために十分な量のホウ素を合成し、この元素を''boracium''と命名した〔。ゲイ=リュサックとテナールは、ホウ酸を還元するために高温でと反応させる方法を採った。彼らはまた、ホウ素を酸素で酸化させることによってホウ酸を合成し、ホウ酸がホウ素の酸化生成物であることを示した〔。イェンス・ベルセリウスは1824年にホウ素の元素としての性質を同定した〔ベルセリウスはホウフッ化塩の還元、特にホウフッ化カリウムを金属カリウムとともに加熱することでホウ素を合成した。以下を参照のこと。Berzelius, J. (1824) "Undersökning af flusspatssyran och dess märkvärdigaste föreningar" (Part 2) (Investigation of hydrofluoric acid and of its most noteworthy compounds), ''Kongliga Vetenskaps-Academiens Handlingar'' (Proceedings of the Royal Science Academy), vol. 12, pp. 46–98; 特にpp. 88ff. Reprinted in German as: Berzelius, J. J. (1824) "Untersuchungen über die Flußspathsäure und deren merkwürdigste Verbindungen" , Poggendorff's ''Annalen der Physik und Chemie'', vol. 78, pages 113–150.〕。その後、多くの化学者によって純粋なホウ素を合成しようと試みられてきたが、そのほとんどは不純物を多く含んだものであり、比較的高純度なものであってもホウ素の純度は85%を下回っていたと考えられている。これに初めて成功したのはアメリカの化学者であるエゼキエル・ワイントローブであると考えられており、1909年に三塩化ホウ素電弧中で水素還元させるという方法で純粋なホウ素を合成した〔斉藤 (1965) 5頁。〕。 (buraq) もしくはペルシャ語の' (burah) に起源があるとされる。中国語では10世紀の「日華本草」にペルシャ語の音写としてホウ砂のことを「蓬砂」とした記述がみられ、14世紀には日本に伝来して「硼砂」と記されている〔。
ホウ素化合物の存在は数千年前には既に知られており、西チベットの砂漠から産出したホウ砂サンスクリット語でチンカルと呼ばれていた。西暦300年頃の中国では既に釉薬としてホウ砂が利用されており、8世紀ペルシャの錬金術師であるジャービル・イブン=ハイヤーンはホウ砂について言及していたとされている。13世紀には、マルコ・ポーロによってホウ砂釉薬を用いた陶磁器がイタリアへと持ち帰られた。1600年ごろにはアグリコラによって冶金学における融剤としての用途が記されている。現代においてホウ素の最大の用途ともなっているガラス向けの用途は1758年に出版されたドッシーによる「技芸の侍女」において初めて言及されているが、当時はホウ砂が高価だったこともありごく一部のガラスに使われていたに過ぎない〔斉藤 (1965) 3-4頁。〕。
1774年、イタリアのトスカーナ州州都フィレンツェ近郊のラルデレロで産出する地熱蒸気にホウ酸が含まれていることが分かり、ホウ酸工場が設立されて重要なホウ素資源として利用されたが、19世紀にはアメリカ大陸で大規模なホウ酸塩鉱物の鉱床が発見されたためその地位はアメリカに取って代わられた。ホウ素の生産が終了した後、ラルデレロでは高温の地熱蒸気を利用した地熱発電が行われている〔。ホウ素を含む鉱石としては、イタリアのサッソで発見された希少鉱石のがある。サッソライトは1827年から1872年までの間ヨーロッパにおけるホウ砂の主要な資源として利用されていたが、その後こちらもアメリカ産のものに取って代わられた。ホウ素化合物は1800年代まではあまり利用されることがなかったが、「ホウ砂王」とも呼ばれるのが初めてホウ素化合物の大量生産を行い安価で提供し、普及させた〔Hildebrand, G. H. (1982) "Borax Pioneer: Francis Marion Smith." San Diego: Howell-North Books. p. 267 ISBN 0-8310-7148-6〕。その後光学ガラスの大規模生産が始まると、ホウ砂はガラス工業において大量に消費されるようになっていった〔斉藤 (1965) 4頁。〕。
ホウ素に関する初期の研究としては、1702年に報告されたホウ砂と硫酸を反応させることによるホウ酸の合成や、1741年に報告されたホウ素が緑色の炎色反応を示すことの発見、1752年に報告されたホウ酸とナトリウムを反応させることによるホウ砂の合成などがある〔。単体のホウ素はジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックルイ・テナールの二人〔Gay Lussac, J.L. and Thenard, L.J. (1808) "Sur la décomposition et la recomposition de l'acide boracique," ''Annales de chimie'' Annales de chemie et de physique , vol. 68, pp. 169–174.〕と、ハンフリー・デービーがそれぞれ同時期に個別に単離に成功したが、それまでは単一の元素とは認められていなかった。1808年にデービーは、ホウ酸溶液に電気を通して電気分解することによって、一方の電極上に茶色の沈殿が生成されると記している。デービーはそれ以降の実験において、ホウ酸を電気分解する代わりにカリウムで還元させる方法を用いた。デービーはホウ素が新しい元素であることを確かめるために十分な量のホウ素を合成し、この元素を''boracium''と命名した〔。ゲイ=リュサックとテナールは、ホウ酸を還元するために高温でと反応させる方法を採った。彼らはまた、ホウ素を酸素で酸化させることによってホウ酸を合成し、ホウ酸がホウ素の酸化生成物であることを示した〔。イェンス・ベルセリウスは1824年にホウ素の元素としての性質を同定した〔ベルセリウスはホウフッ化塩の還元、特にホウフッ化カリウムを金属カリウムとともに加熱することでホウ素を合成した。以下を参照のこと。Berzelius, J. (1824) "Undersökning af flusspatssyran och dess märkvärdigaste föreningar" (Part 2) (Investigation of hydrofluoric acid and of its most noteworthy compounds), ''Kongliga Vetenskaps-Academiens Handlingar'' (Proceedings of the Royal Science Academy), vol. 12, pp. 46–98; 特にpp. 88ff. Reprinted in German as: Berzelius, J. J. (1824) "Untersuchungen über die Flußspathsäure und deren merkwürdigste Verbindungen" , Poggendorff's ''Annalen der Physik und Chemie'', vol. 78, pages 113–150.〕。その後、多くの化学者によって純粋なホウ素を合成しようと試みられてきたが、そのほとんどは不純物を多く含んだものであり、比較的高純度なものであってもホウ素の純度は85%を下回っていたと考えられている。これに初めて成功したのはアメリカの化学者であるエゼキエル・ワイントローブであると考えられており、1909年に三塩化ホウ素電弧中で水素還元させるという方法で純粋なホウ素を合成した〔斉藤 (1965) 5頁。〕。 (burah) に起源があるとされる。中国語では10世紀の「日華本草」にペルシャ語の音写としてホウ砂のことを「蓬砂」とした記述がみられ、14世紀には日本に伝来して「硼砂」と記されている〔。
ホウ素化合物の存在は数千年前には既に知られており、西チベットの砂漠から産出したホウ砂サンスクリット語でチンカルと呼ばれていた。西暦300年頃の中国では既に釉薬としてホウ砂が利用されており、8世紀ペルシャの錬金術師であるジャービル・イブン=ハイヤーンはホウ砂について言及していたとされている。13世紀には、マルコ・ポーロによってホウ砂釉薬を用いた陶磁器がイタリアへと持ち帰られた。1600年ごろにはアグリコラによって冶金学における融剤としての用途が記されている。現代においてホウ素の最大の用途ともなっているガラス向けの用途は1758年に出版されたドッシーによる「技芸の侍女」において初めて言及されているが、当時はホウ砂が高価だったこともありごく一部のガラスに使われていたに過ぎない〔斉藤 (1965) 3-4頁。〕。
1774年、イタリアのトスカーナ州州都フィレンツェ近郊のラルデレロで産出する地熱蒸気にホウ酸が含まれていることが分かり、ホウ酸工場が設立されて重要なホウ素資源として利用されたが、19世紀にはアメリカ大陸で大規模なホウ酸塩鉱物の鉱床が発見されたためその地位はアメリカに取って代わられた。ホウ素の生産が終了した後、ラルデレロでは高温の地熱蒸気を利用した地熱発電が行われている〔。ホウ素を含む鉱石としては、イタリアのサッソで発見された希少鉱石のがある。サッソライトは1827年から1872年までの間ヨーロッパにおけるホウ砂の主要な資源として利用されていたが、その後こちらもアメリカ産のものに取って代わられた。ホウ素化合物は1800年代まではあまり利用されることがなかったが、「ホウ砂王」とも呼ばれるのが初めてホウ素化合物の大量生産を行い安価で提供し、普及させた〔Hildebrand, G. H. (1982) "Borax Pioneer: Francis Marion Smith." San Diego: Howell-North Books. p. 267 ISBN 0-8310-7148-6〕。その後光学ガラスの大規模生産が始まると、ホウ砂はガラス工業において大量に消費されるようになっていった〔斉藤 (1965) 4頁。〕。
ホウ素に関する初期の研究としては、1702年に報告されたホウ砂と硫酸を反応させることによるホウ酸の合成や、1741年に報告されたホウ素が緑色の炎色反応を示すことの発見、1752年に報告されたホウ酸とナトリウムを反応させることによるホウ砂の合成などがある〔。単体のホウ素はジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックルイ・テナールの二人〔Gay Lussac, J.L. and Thenard, L.J. (1808) "Sur la décomposition et la recomposition de l'acide boracique," ''Annales de chimie'' Annales de chemie et de physique , vol. 68, pp. 169–174.〕と、ハンフリー・デービーがそれぞれ同時期に個別に単離に成功したが、それまでは単一の元素とは認められていなかった。1808年にデービーは、ホウ酸溶液に電気を通して電気分解することによって、一方の電極上に茶色の沈殿が生成されると記している。デービーはそれ以降の実験において、ホウ酸を電気分解する代わりにカリウムで還元させる方法を用いた。デービーはホウ素が新しい元素であることを確かめるために十分な量のホウ素を合成し、この元素を''boracium''と命名した〔。ゲイ=リュサックとテナールは、ホウ酸を還元するために高温でと反応させる方法を採った。彼らはまた、ホウ素を酸素で酸化させることによってホウ酸を合成し、ホウ酸がホウ素の酸化生成物であることを示した〔。イェンス・ベルセリウスは1824年にホウ素の元素としての性質を同定した〔ベルセリウスはホウフッ化塩の還元、特にホウフッ化カリウムを金属カリウムとともに加熱することでホウ素を合成した。以下を参照のこと。Berzelius, J. (1824) "Undersökning af flusspatssyran och dess märkvärdigaste föreningar" (Part 2) (Investigation of hydrofluoric acid and of its most noteworthy compounds), ''Kongliga Vetenskaps-Academiens Handlingar'' (Proceedings of the Royal Science Academy), vol. 12, pp. 46–98; 特にpp. 88ff. Reprinted in German as: Berzelius, J. J. (1824) "Untersuchungen über die Flußspathsäure und deren merkwürdigste Verbindungen" , Poggendorff's ''Annalen der Physik und Chemie'', vol. 78, pages 113–150.〕。その後、多くの化学者によって純粋なホウ素を合成しようと試みられてきたが、そのほとんどは不純物を多く含んだものであり、比較的高純度なものであってもホウ素の純度は85%を下回っていたと考えられている。これに初めて成功したのはアメリカの化学者であるエゼキエル・ワイントローブであると考えられており、1909年に三塩化ホウ素電弧中で水素還元させるという方法で純粋なホウ素を合成した〔斉藤 (1965) 5頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ホウ素」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Boron 」があります。



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