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E・E・スミス : ウィキペディア日本語版
E・E・スミス[いーいーすみす]

エドワード・エルマー・スミスEdward Elmer Smith あるいは E.E."Doc"Smith, 1890年5月2日 - 1965年8月31日)は、アメリカSF作家で、《レンズマン》シリーズや《スカイラーク》シリーズで知られている。「スペースオペラの父」と呼ばれることもある。通称はE・E・スミスドク・スミスなど。家族からはテッドと呼ばれていた。ドーナツペイストリー用の粉を専門とする食品工学者でもあった。
== 生涯 ==

=== 家族と学生時代まで ===
1890年5月2日、ウィスコンシン州シボイガンで生まれる。両親は共に長老派教会の敬虔な信徒の家系である〔. これも含めて日付については を主に参照。また、一部は を参照〕。母はミシガン州出身の教師で、父はメイン州出身の船員だったが英語教師になった〔1900 Census, House 1515, Residence 438, Family 371, 3rd Ward of Spokane County, Washington, recorded June 13, 1900, accessed via online census images at heritagequest.com〕。同年冬、ワシントン州スポケーンに幼いE・E・スミスを連れて引越し〔. ただし では最初からアイダホに引っ越したとしている。また、 と ではどちらもSandarsと同じである。〕、そこで父が1900年には契約で働いていた〔。1902年、一家はアイダホ州クートニー郡の Seneaquoteen に引っ越した。E・E・スミスは5人兄弟の4番目だった。1910年の国勢調査によると両親と弟は当時アイダホ州ボナー郡の Markham Precinct に住んでいた。国勢調査の記録では父の職業は農夫となっている〔1910 Census, Residence 37, Family 37, Markham Precinct, Bonner County, Idaho, recorded 25 April 1910, accessed via heritagequest.com.〕。
スミスは肉体労働者として働いていたが、19歳のとき火事から逃げる際に手首を負傷し、肉体労働が難しくなった。そこで彼はアイダホ大学に入学。1984年にはアイダホ大学同窓会の殿堂入りしている〔Letter from Flip Kleffner, Director of Alumni Relations, University of Idaho Alumni Association, to Verna Smith Trestrail, dated 27 February 1984.〕。1907年に入学し化学工学を専攻して1914年に卒業(7年かかっているのは学士号を2つ取得したため)。化学クラブ、チェスクラブ、マンドリン・ギタークラブ、ライフルチームの部長を務めた。ギルバートとサリヴァンのオペレッタの舞台で歌ったこともある。学士論文の題名は ''Some Clays of Idaho'' でクラスメートの Chester Fowler Smith と共同で執筆した。なお、そのクラスメートはバークレーで講師の職を得たが、翌年結核で亡くなっている〔Latah County, Idaho Star-Mirror, March 25, 1915 .〕。2人の関係はよくわかっていない。
1915年10月5日、アイダホ州ボイシWestern States Marriage Index Entry 84846 , accessed 5 April 2007〕で大学のルームメイトの妹だったジャンヌ・クレイグ・マクドゥーガルと結婚〔。因みにジャンヌの姉妹がクラリッサ・マクリーン・マクドゥーガルという名で、《レンズマン》シリーズのヒロインの名(クラリッサ・マクドゥーガル)に使われている。ジャンヌはスコットランドのグラスゴー出身で、父はバイオリン奏者だった。彼女の父は子供たちが幼いころにボイシに単身赴任し、家族がボイシに引っ越そうとしている1905年に亡くなった。ジャンヌの母は1914年に元政治家の実業家と再婚した〔Hawley, James F. ''A History of Idaho: Gem of the Mountains", page 868. S. J. Clarke Publishing Company, 1920. Full text available at Google Books 〕。
スミスは3人の子をもうけた。
* Roderick N. (1918-?) - ロッキード社の航空機設計技師となった。
* Verna Jean (1920-1994) - 結婚後は Verna Smith Trestrail。スミスの著作権を相続した。死後はその子 Kim Trestrail が相続している〔Z9M9Z: "Noreascon 4". 〕。ロバート・A・ハインラインは『フライデイ』(1982) の献辞に Verna を挙げている。
* Clarissa M. (1921-?) - 結婚後は Clarissa Wilcox。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「E・E・スミス」の詳細全文を読む



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