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阿部雅美 : ウィキペディア日本語版
阿部雅美[あべ まさみ]

阿部 雅美(あべ まさみ、1948年 - )は日本のジャーナリスト北朝鮮による日本人拉致事件をスクープした。産経デジタル代表取締役社長CEO東京都生まれ。産業経済新聞社常務取締役など兼務。
== 経歴 ==
1972年早稲田大学政経学部卒業、産業経済新聞社に入社。各地で相次いだアベック蒸発事件を日本の公安警察からのリーク情報を元に取材。1980年1月7日サンケイ新聞朝刊一面トップにおいて「アベック三組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」などの見出しで、日本人拉致事件を初めて報じた。このスクープは世論にある程度の衝撃を与えたが、当時の日本では社会党をはじめ親北朝鮮勢力が政界で幅を利かせており、他のマスメディアも「サンケイは公安警察の情報に踊らされている」などとして追随して報道することも無く、拉致被害者奪還運動まで高まることは無かった。〔この記事は当時、社内でも物議を醸していた。事件の内容はともかく、一国の犯罪として結びつけることは短絡的ではないかという声も多く、もしこれで失踪者がどこかからひょっこり出てきたら自分の記者生命も終わりだと阿部自身も腹をくくっていたという。〕
スクープから7年後の1987年に発生した爆破テロ大韓航空爆破事件によって日本人拉致の事実が国際的にも北朝鮮によるテロ活動の一環として認知されるようになり、翌1988年3月26日、参議院予算委員会において、当時日本共産党参議院議員であった橋本敦の質問に対して梶山静六国家公安委員長が北朝鮮による日本人拉致を認める答弁を行うなど、阿部雅美とスクープ記事が再び注目されるようになった。そして、現在に続く拉致被害者奪還運動につながることとなり、阿部は1997年、「日本人拉致疑惑~17年を経た2件のスクープ」で新聞協会賞を2年連続で受賞することとなった(前年の1996年の受賞は、産経新聞に連載の企画記事「未来史閲覧」について)。
その後、東京、大阪の両本社の社会部長や編集局局次長を経て、2000年サンケイスポーツ編集局局長に、2003年編集局局長に就任した。2006年からは現職。
“事件記者”としての経歴が長く、スポーツ(紙)業界やインターネットなどのIT業界に詳しいわけではなかったが、産経新聞の新たなデジタル戦略小会社「産経デジタル」初代CEOに就任し、新聞業界初の記者ブログを融合させた「イザ!」をはじめ、マイクロソフトと提携した「MSN産経ニュース」をスタートさせたほか、「ZAKZAK」「sanspo.com」「フジサンケイビジネスアイ」を含めた硬軟さまざまなサイトを立ち上げた。
2006年には、Web界の発展に貢献した人を表彰する「Webクリエーション・アウォード」において、“1年間でもっとも活躍した人”に贈られる「Web人 of the year 」も受賞している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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