翻訳と辞書
Words near each other
・ 進藤甲兵
・ 進藤章
・ 進藤純孝
・ 進藤繁
・ 進藤美希
・ 進藤英太郎
・ 進藤誠一
・ 進藤誠司
・ 進藤貞和
・ 進藤貞治
進藤賢盛
・ 進藤達哉
・ 進藤長之
・ 進藤長定
・ 進藤長房
・ 進藤隆富
・ 進藤雄三
・ 進藤靖弘
・ 進行
・ 進行(性)、直進(性)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

進藤賢盛 : ミニ英和和英辞書
進藤賢盛[しんどう かたもり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

進藤賢盛 : ウィキペディア日本語版
進藤賢盛[しんどう かたもり]

進藤 賢盛(しんどう かたもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将木浜城主。
== 概要 ==
進藤氏近江国野洲郡から栗太郡志賀郡にかけて勢力を張った国人。賢盛は同国の戦国大名六角義賢(承禎)に仕えてその偏諱(「賢」の字)を受けた。
賢盛は賢豊と共に「六角の両」と呼ばれ、永禄3年(1560年)の近江肥田城攻め、野良田の戦いなど多くの浅井氏との合戦に従軍し、外交では室町幕府との交渉を担当する重臣であるが、同6年(1563年)の観音寺騒動では主家である六角家に反抗している。騒動後は六角家と和睦し、永禄10年(1567年)に制定された六角氏式目に連署、同年6月には延暦寺の内紛に介入し一乗寺へ放火をしている(言継卿記)。しかし、永禄11年(1568年)に織田信長が侵攻してくると信長へ臣従、永禄12年(1569年)には伊勢大河内城攻めに参加(大河内城の戦い)。元亀2年(1571年)には佐久間信盛与力になり、元亀4年(1573年)の槇島城攻め、天正元年(1573年)の一乗谷城の戦い、その後は石山合戦に参加。信盛が追放された後は、第二次天正伊賀の乱にも従軍した。
天正10年(1582年)の本能寺の変後は信長の子・織田信雄、のち豊臣秀吉に仕えている。信雄と秀吉(当時:羽柴秀吉)が戦った天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでは秀吉軍の別働隊に所属し蒲生氏郷と共に伊勢の伊勢峰城攻めに加わった。一説にを「秀盛」(ひでもり)と伝えるものもあるが、おそらく秀吉から1字を受けたものと推測される(実際に名乗ったかどうかは不明)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「進藤賢盛」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.