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(n,vs) joint signature =========================== ・ 連 : [むらじ, れん] 【名詞】 1. party 2. company 3. group ・ 連署 : [れんしょ] (n,vs) joint signature
連署(れんしょ)とは、鎌倉幕府の役職。執権の補佐役であり執権に次ぐ重職で、実質上の「副執権」である。1224年(元応3年)、北条泰時が叔父の北条時房を任命したのが最初。幕府の公文書に執権と連名で署名したためにこの名がある。執権複数制とも称される。 == 概要 == 北条義時の死去の直後、北条政子の発案によって設置されたと長らく信じられていたが、上横手雅敬によって連署の設置は政子の死後に行われたことが論証された。〔奥富敬之「鎌倉北条氏の興亡」(ISBN 4-642-05559-2 吉川弘文館歴史文化ライブラリー) 80P〕発足当初は連署という職名は存在せず、初代連署であった時房もまた「執権」として扱われており、鎌倉幕府には「両執権体制」が敷かれていた。表面上、泰時と時房は同じ執権として対等な関係にあったが、実質的には泰時の権限の方が優越していたという。しかし、名目上とはいえ、複数の執権体制が置かれたことは、合議制を尊重する泰時の姿勢、信条の反映であった。〔上横手雅敬「鎌倉時代 その光と影」(吉川弘文館歴史文化セレクション ISBN 4-642-06304-8 199P)〕 7代執権を務めた後、連署に再任した北条政村が連署在任中に死去した際、肥後の菊池武房が、「連署が亡くなられたので鎌倉に参上したいのだが異国のことがあるため行けないので代理を派遣する」という趣旨の書状を鎌倉に送っており、連署が亡くなると地方の有力豪族が弔慰のために鎌倉に参上することが慣行となっていたようである。それは同時に、幕政における連署の強い影響力を示唆している。 通常、北条氏一門の中の有力者が就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「連署」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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