翻訳と辞書
Words near each other
・ 許談
・ 許諾
・ 許諾を得ないレコードの複製からのレコード製作者の保護に関する条約
・ 許諾迪
・ 許謌誼
・ 許謙
・ 許貞淑
・ 許貢
・ 許載
・ 許遠
許遵
・ 許都
・ 許銀川
・ 許銘チェ
・ 許銘倢
・ 許銘傑
・ 許錟
・ 許錫宣
・ 許雄
・ 許雄 (ラグビー選手)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

許遵 : ミニ英和和英辞書
許遵[きょ じゅん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きょ, もと]
  1. (adv) under (esp. influence or guidance) 

許遵 : ウィキペディア日本語版
許遵[きょ じゅん]
許遵(きょ じゅん、生年不詳 - 559年)は、中国南北朝時代の占卜家。本貫高陽郡新城県
== 経歴と逸話 ==
易経』に明るく、卜筮を得意とし、天文・風角・占相・逆刺にも通じていた。高歓に召し出されてその館の客となった。富貴になることはないが、横死する運命にもないと自分の将来について予見していた。その発言はしばしば無礼で無遠慮なものであったが、高歓はかれの才能を惜しんで許していた。538年元象元年)、河橋・邙山の戦いに先だって、許遵は「敵方は火陣であるのに、我がほうは木陣である。火は木に勝つので、我がほうは必ず敗れるであろう」と李業興に予言した。戦いの結果は許遵の予言のとおりになった。
許遵は高岳の下で開府田曹記室となった。550年天保元年)、北斉が建国され、高岳が清河王に封じられると、このことを許遵に伝えた。許遵は「蜜蜂もまた王とならん」と酷評した。554年(天保5年)、西魏が江陵を攻撃し、元帝が北斉に救援を求めると、高岳が江陵の救援に赴くこととなった。許遵は後の凶事を招くとして、辞退するよう勧めたが、高岳は拒否できる情勢にないとして、許遵の同行を求めた。許遵は「生人に随行するのはよいが、死人と道を同じくするのは願い下げだ」と言って拒否した。翌年に高岳はに戻ると、まもなく讒言を受けて毒殺された。
559年(天保10年)、北斉の文宣帝の無道ぶりは日増しに酷くなっていた。許遵は文宣帝のことを「狂夫」と呼んでその死を占い、「冬初を出ることはないが、わたしがそれを見ることはないだろう」と予言した。文宣帝はこの年の10月に死去したが、許遵はそれに先立つ9月に死去した。
子に許暉があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「許遵」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.