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蜂谷輝雄 : ミニ英和和英辞書
蜂谷輝雄[はちや てるお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はち]
 【名詞】 1. bee 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

蜂谷輝雄 : ウィキペディア日本語版
蜂谷輝雄[はちや てるお]
蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 1979年7月2日)は、日本の外交官自由インド仮政府初代公使や内閣総理大臣秘書官を務めた。
== 来歴・人物 ==
東京生まれ。弁護士・蜂谷和輔の二男。旧制東京府立第一中学校(東京都立日比谷高等学校の前身)、東京高等商業学校一橋大学の前身)予科1919年(大正8年)3月、東京高等商業学校専攻部領事科卒業。6月、外務省入省。10月、高文試験外交科合格。ハンブルク副領事や奉天バンクーバー領事などを経て、1933年(昭和8年)2月、柳条溝事件で苦慮した駐ハルビン総領事との兼務である森島守人の後を継ぎ、駐奉天総領事に着任した。
その後、外務省文化事業部長、1938年(昭和13年)12月、駐ポーランド大使館参事官から、ブダペスト駐在を経て、駐ブルガリア公使としてソフィア着任。1941年(昭和16年)には、台湾総督府外事部長に。1944年(昭和19年)12月、ビルマバー・モウ自由インド仮政府チャンドラ・ボースの陸軍への説得により、自由インド仮政府初代公使としてラングーンに着任した。1946年(昭和21年)8月に帰国、第2次吉田内閣総理秘書官1948年(昭和23年)10月から1ヶ月あまり務めて、退官した。1958年日米協会主事、1961年から1979年まで日米協会専務理事。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蜂谷輝雄」の詳細全文を読む




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