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肝付兼続 : ミニ英和和英辞書
肝付兼続[きもつき かねつぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きも, かん]
 【名詞】 1. (1) liver 2. (2) courage 3. spirit 4. pluck 5. guts 
: [ふ]
  1. (n,vs) giving to 2. submitting to 3. refer to 4. affix 5. append
: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 

肝付兼続 : ウィキペディア日本語版
肝付兼続[きもつき かねつぐ]

肝付 兼続(きもつき かねつぐ)は、大隅戦国大名。肝付氏の第16代当主。
== 生涯 ==
永正8年(1511年)、第15代当主・肝付兼興の長男として生まれる。
天文2年(1533年)、父・兼興が死去すると、叔父の肝付兼執を滅ぼして家督を継いで第16代当主となる。
兼続は隣国の島津氏との関係を重視し、島津忠良の長女を妻として迎える一方で、妹を忠良の子・島津貴久に嫁がせて良好な関係を保とうとした。一方で大隅の平定に着手し、天文7年(1538年)には高岳城を落としたのを契機に、大隅をほぼ平定した。天文11年(1542年)に百引城平房城、天文13年(1544年)に安楽城、天文15年(1546年)に逢原城など諸城を落とし、大隅における肝付氏の勢力拡大に努めた。天文22年(1553年)、嫡男の肝付良兼に家督を譲って隠居し入道したが、実権は握り続けた。
永禄元年(1558年)、それまで親密な関係を保っていた島津氏との関係が崩れて、兼続は日向伊東氏と結んで島津忠親と戦った。永禄4年(1561年)には廻城を奪取して島津貴久と本格的に敵対し、竹原山の戦いで貴久の弟・島津忠将を討ち取って大勝した。このとき、兼続は妻御南に離縁を迫ったが、御南は応じなかったといわれる。
永禄5年(1562年)には志布志郡を落とし、肝付氏の最大領土を形成した。そしてここに隠居所を築き、隠居生活を送りながら政務を見たといわれる。永禄7年(1564年)には日向福原で島津忠親と戦って勝利し、永禄9年(1566年)には島津方の北郷時久と戦って勝利し、福島まで進撃する。
しかし11月14日、島津貴久の反攻を受けて居城である高山城が落とされる。兼続の行方ははっきりしないが、一説には隠居城の志布志付近で翌11月15日に自殺したとされる。享年56。
墓所は志布志の下小西児童公園内。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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