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細川行真 : ミニ英和和英辞書
細川行真[ほそかわこうしん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 
: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness

細川行真 : ウィキペディア日本語版
細川行真[ほそかわこうしん]

細川 行真(ほそかわ ゆきざね)は、肥後宇土藩の第11代(最後の)藩主。
== 生涯 ==
天保13年(1842年)9月2日、第9代藩主・細川行芬の五男として生まれる。文久元年(1861年)5月、兄で第10代藩主の立則の養子となり、文久2年(1862年)1月21日、兄が隠居したため、跡を継いだ。文久3年(1863年)4月10日に従五位下、大和守に叙任し、文久4年(1864年)2月10日に豊前守に転任する。
慶応元年(1865年)、学問所である樹徳斎を創立して、学問を奨励した。慶安4年(1868年)の戊辰戦争では、高瀬藩と共に新政府に与して大原口警備を務めた。明治3年(1870年)9月4日、宇土藩は廃藩となり、行真は所領の10分の1である3000石の家禄を与えられて東京へ移住する。このとき、宇土藩領は熊本藩に吸収された。翌年、兄・立則に長男となる立興(たつおき)が生まれ、のちにこれを養子とした。明治17年(1884年)7月8日、子爵に列する。
明治35年(1902年)4月9日に死去した。享年61。養子としていた甥の細川立興が跡を継ぎ、以降立暢(たつのぶ、1896-1980)、於菟輔(おとすけ、1928-、菊屋孫輔の子で立暢の婿養子)と続いた。一方で行真の子息たちは他家に養子入りしている。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「細川行真」の詳細全文を読む




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