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篠原陸朗 : ミニ英和和英辞書
篠原陸朗[しのはら ろくろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [りく, ろく]
 (adj-na,n) six (used in legal documents)

篠原陸朗 : ウィキペディア日本語版
篠原陸朗[しのはら ろくろう]

篠原 陸朗(しのはら ろくろう、1883年明治16年)3月26日〔衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年、11頁。〕 - 1966年昭和41年)9月6日)は、日本政治家衆議院議員選挙に通算4回当選した。
== 来歴・人物 ==
東京府(現・東京都)生まれ。東京帝国大学法科大学独法科卒業後官界に入り、司法官試補となった。その後大蔵省に移り、税務監査局事務官、大蔵省主計官、大蔵省書記官、長崎税関長、熊本税務監査局長を歴任した。
1930年第17回衆議院議員選挙立憲民政党公認で旧千葉県第1区から立候補し初当選した〔第17回衆議院議員選挙 千葉1区 - ザ選挙 - 株式会社VoiceJapan が運営するサイト・ザ選挙 内のページ(但し会員限定公開ページに変更されたためインターネット・アーカイブ内のページにリンク)。〕。2年後の第18回衆議院議員選挙では民政党大敗のあおりを受け次点に終わったものの〔第18回衆議院議員選挙 千葉1区 - ザ選挙 - 同上。〕、1936年第19回衆議院議員選挙で政界に返り咲いて〔第19回衆議院議員選挙 千葉1区 - ザ選挙 - 同上。〕からは連続3回総選挙に当選した。政党解消によって所属していた民政党が解党してからは翼賛議員同盟に所属し、1942年翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて立候補し当選した〔第21回衆議院議員選挙 千葉1区 - ザ選挙 - 同上。〕。その後は翼賛政治会大日本政治会に所属した。翼賛議会においては戦時刑事特別法改正法律案委員会の委員を務め、小磯内閣では大東亜政務次官を務めた。
政治家としての篠原の業績は上記の職を歴任したこと以外では内閣委員、大東亜委員を務めたことやオランダハーグで開かれた第34回列国議会同盟会議に参列したことが挙げられる。
敗戦後は日本進歩党の結党に参加したものの翼賛選挙で推薦候補として立候補したため公職追放。追放解除後の1952年第25回衆議院議員選挙に戦前地盤としていた旧千葉県第1区から改進党公認で立候補したものの、定員4名に対し12名が立候補し全立候補者中11位という惨敗に終わり〔第25回衆議院議員選挙 千葉1区 - ザ選挙 - 同上。〕、そのまま政界から引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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