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第53回NHK紅白歌合戦 : ミニ英和和英辞書
第53回NHK紅白歌合戦[だい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [かい]
 【名詞】 1. counter for occurrences 
: [べに, くれない]
 【名詞】 1. deep red 2. crimson 
紅白 : [こうはく]
 【名詞】 1. red and white 2. colours for festive or auspicious occasions (colors) 
紅白歌合戦 : [こうはくうたがっせん]
 (n) annual singing contest held on New Year's Eve
: [しろ]
 【名詞】 1. white 
: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 
歌合 : [うたあわせ]
 【名詞】 1. poetry contest 
歌合戦 : [うたがっせん]
 (n) singing matches
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合戦 : [かっせん]
 【名詞】 1. battle 2. engagement 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

第53回NHK紅白歌合戦 : ウィキペディア日本語版
第53回NHK紅白歌合戦[だい]

第53回NHK紅白歌合戦』は、2002年平成14年)12月31日NHKホールで行われた、通算53回目の『NHK紅白歌合戦』。19時30分 - 21時25分および21時30分 - 23時45分にNHK生放送された。
== 概要 ==

*今回からBSデジタルハイビジョン(以下BShiデジタル)の視聴者によるお茶の間投票が開始された。
*当時NHK会長の海老沢勝二はこの年10月3日の定例会見で「両軍司会は前回に引き続き同局のアナウンサーを起用」と公言していた〔,スポーツニッポン,2002年10月4日〕。司会陣は有働由美子阿部渉三宅民夫と前回と全く同じ顔ぶれとなった。3人揃って続投になったのは前回の司会評判が「聴き取りやすい」「安定感がある」と好評だったためという〔,スポーツニッポン,11月15日〕。
*各マスコミは司会発表前、紅組司会の候補として有働〔,スポーツニッポン,2002年10月4日〕〔『スポーツ報知』2002年10月15日付〕〔『サンケイスポーツ』2002年10月15日付〕、第49回1998年) - 第51回2000年)に3年連続で紅組司会を務めこの年産休復帰〔NHKには契約職員の立場で復帰。後に久保は完全フリーとなっている。〕〔有働は前回紅組司会に決まった際、司会発表会見で「久保ちゃんの産休代理です。NHKも思い切ったことやるなぁ」と述べ、報道陣の笑いを誘っていた。〕した久保純子〔『サンケイスポーツ』2002年10月15日付〕、膳場貴子,スポーツニッポン,2002年10月15日〕、白組司会の候補として阿部、宮本隆治(当時NHKアナウンサー)、三宅〔,スポーツニッポン,11月15日〕の名前を挙げていた。『読売新聞』(2002年11月11日付)は司会発表前に両軍司会の有働・阿部の続投内定を報じた。また、複数スポーツ紙で「紅組司会は有働と久保の一騎打ち状態」「白組司会は阿部の続投が有力(本命)」と報じられた。
*応援サポーターとの役が設けられ、この年上期の連続テレビ小説さくら』の出演者である高野志穂(ヒロイン。紅組サポーター)、小澤征悦(白組サポーター)が務めた。
*応援サポーターの発表前、『サンケイスポーツ』(2002年10月15日更新)がこの枠の候補として、紅組に藤原紀香、白組にダウンタウン浜田雅功(『夢見るタマゴ!熱血浜田塾の夏期講習』の司会)を挙げていた。
*この年ノーベル化学賞を受賞した田中耕一に審査員の打診をしたが、早々に辞退した〔田中さんは辞退…紅白審査員発表 、スポニチアネックス、2002年12月26日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)。〕。
*テレビ番組への出演が少なくこれまで紅白出場を辞退し続けてきた中島みゆき黒部ダム黒部川第四発電所から中継出演して「地上の星」を歌い、放送前から話題を集めた。この時間帯が最高瞬間視聴率ビデオリサーチ社関東地区調べ)となった〔黒四中継みゆきが52.8%でトップ 、スポニチアネックス、2003年1月7日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)。〕。曲紹介時、有働との絡みはなかった。これについては、当の本人の「あっけらかん」さが表れるのが嫌だった、と中島本人が語っている〔2006年12月15日放送のニッポン放送中島みゆきのオールナイトニッポン』より〕。また同曲の最中中島が2番の歌詞を間違えた〔みゆき「紅白」ノースリーブ熱唱 、スポニチアネックス、2003年1月1日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)。〕、ことも話題となった。演奏直前に、同曲が主題歌となっている『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』のVTRと、同番組でナレーションを務める田口トモロヲの声が流れた。応援ゲストとして出演した爆笑問題太田光によると、田口のナレーションは生であり、楽屋も用意されていたという。当初は「初出場にして紅組トリおよび大トリでの登場」になるのではないかとも報道された〔『スポーツニッポン』と『デイリースポーツ』が揃って12月19日付でこのように報じた。〕が、「締めの歌はNHKホールから送りたい」(チーフプロデューサーの並木正行)という理由により、紅組トリでの出演は見送られた〔中島みゆきは“最高潮”46番目 、スポニチアネックス、2002年12月27日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)。〕。
*紅組トップバッターおよび先行トップバッターの藤本美貴のバックでは当時の藤本が所属していたハロー!プロジェクトの中で、同じく今回に出場していたモーニング娘。4・5期メンバー8人がダンスを披露した。なお、ハロー!プロジェクトからは他にも松浦亜弥が出場しており、紅白で初めてハロー!プロジェクトが紅組の3枠を使った。
*膳場が審査員の朝青龍明徳に「どちらが優勢でしょうか?」と振ったところ、「白星先行」との理由で白組と述べた。これに対し、有働は司会席から「(母国の)モンゴル相撲の衣装は赤じゃないですか」と返した。
*平井堅は「大きな古時計」のモデルになった時計のあるアメリカ合衆国マサチューセッツ州から中継で歌った。
*SMAPは同リーダー・中居正広のソロから入る特別アレンジの「freebird」に「夜空ノムコウ」のサビを入れたSPメドレー「freebird '02」を披露した。
*鳥羽一郎の歌唱時には、作曲・プロデュースを担当した宇崎竜童が、第38回1987年)以来15年ぶりに登場。鳥羽と共に「海よ海よ」を熱唱した。
*第2部の白組トップバッターおよび先行トップバッターを務めた氷川きよしのバックダンサーはパパイヤ鈴木とおやじダンサーズ
*ポルノグラフィティ2002 FIFAワールドカップのNHK中継テーマソング 「Mugen」を歌唱。
*前川清の「ひまわり」歌唱時にはRAG FAIRがコーラスを担当した。
*和田アキ子と中居正広を進行役に据え、出場歌手が輪唱をするコーナーが行われた。「静かな湖畔の森の影から」の輪唱シーンにおいて、SMAPの木村拓哉が「静かな湖畔の森の影から男と女の声がする」と歌い、和田が「ここNHKだよ」と言って木村を咎める一幕があった。
*第46回1995年)以来7年ぶりの小林幸子美川憲一の豪華衣装直接対決の後は、平井堅 → CHEMISTRY → 中森明菜 → 安室奈美恵と白白紅紅の順で歌った。
*安室奈美恵がこの年に彫った刺青ノースリーブ姿で露出させて歌ったところ、視聴者から抗議が殺到した。これを受けて、翌年の第54回以降、刺青のある出演者は刺青が露出しない服装にするか、化粧などで刺青箇所を塗り隠さなくてはならなくなった。安室は第54回も出場したが、この時はノースリーブ姿で刺青をファンデーションで塗り隠して歌った。
*谷村新司の「昴-すばる-」の歌唱時には、中国出身の二胡奏者チェン・ミンが参加した。
*ショーコーナーでは、特別ゲストの柴矢裕美が「おさかな天国」を、北島三郎が『おじゃる丸』の主題歌「詠人」を歌った。
*紅組トリは出場25回を果たした石川さゆりの「天城越え」。
*白組トリおよび大トリでは五木ひろしが、同年の母の死去以後、歌唱を封印していた「おふくろの子守唄」を涙ながらに歌った。
*曲順発表前、『スポーツニッポン』(12月19日付)がトリ人選について、「白組トリおよび大トリは五木で内定。紅組トリは石川を中心に人選が進められているが、大逆転で中島みゆきの可能性もある。中島が紅組トリの場合、白組トリも谷村ら他のベテランも急浮上の可能性がある」と報じた。曲順発表時、並木プロデューサーはトリ選考に関し、「家族、ふるさと、親子関係などがあらためてクローズアップされた1年。五木の「“おふくろの子守歌”」で締めるのが最もふさわしいと考えた」と説明。石川の「天城越え」は視聴者アンケートでの人気が極めて高かったとした〔『スポーツニッポン』2002年12月27日付〕。
*優勝は紅組。有働は前回のリベンジを果たす格好となった。
*エンディングの「蛍の光」のバックコーラスは今回を最後に第56回2005年)まで登場しなくなる。
*第2部の平均視聴率は、47.3%(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)であった。なお、今回初めて民放の番組に年間視聴率1位の座を明け渡すこととなった(この年の年間視聴率1位は6月9日放送のフジテレビ2002 FIFAワールドカップ 日本ロシア』の66.1%)〔年間視聴率1位陥落は第49回の前例があるが、この時は同紅白を上回ったものが総合テレビの『1998 FIFAワールドカップ』の日本対クロアチア戦であった。〕。以後も年によっては民放の番組にその座を奪われることもある。
*第54回における両軍司会は有働・膳場、阿部・高山哲哉の体制となる。今回審査員リポートを務めた膳場・高山は事実上の昇格という形になった。また有働・阿部が翌年も組司会を続投した一方、三宅は今回を最後に一旦総合司会を退いた(翌年の総合司会は後輩の武内陶子に交代。三宅は第57回2006年)で総合司会に復帰している)。
*第51回から復活していた審査員リポートは今回を最後に再び撤廃された。第54回以降、審査員の紹介や彼らへのインタビューは司会者が行う体制に戻った。
*今回中継先から歌手が歌唱する演出が第41回1990年)以来12年ぶりに復活。以後、中継歌唱は毎年行われるようになる。
*モーニング娘。について、この年9月にグループを卒業した後藤真希が本紅白で1日限りの復帰をする計画があると報道された〔http://web.archive.org/web/20021210025421/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2002/11/27/02.html〕が、実現することはなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第53回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む




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