翻訳と辞書
Words near each other
・ 第501飛行隊
・ 第501飛行隊 (航空自衛隊)
・ 第501=第503戦車連隊 (フランス軍)
・ 第502SS猟兵大隊
・ 第502海軍航空隊
・ 第503輜重連隊 (フランス軍)
・ 第505重戦車大隊
・ 第508重戦車大隊
・ 第509混成部隊
・ 第50S飛行中隊
第50回NHK紅白歌合戦
・ 第50回アカデミー賞
・ 第50回カンヌ国際映画祭
・ 第50回グラミー賞
・ 第50回ゴールデングローブ賞
・ 第50回スーパーボウル
・ 第50回ニューヨーク映画批評家協会賞
・ 第50回ブルーリボン賞 (鉄道)
・ 第50回ベルリン国際映画祭
・ 第50回ローレル賞


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第50回NHK紅白歌合戦 : ミニ英和和英辞書
第50回NHK紅白歌合戦[だいごじゅっかいえぬえいちけいこうはくうたがっせん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [かい]
 【名詞】 1. counter for occurrences 
: [べに, くれない]
 【名詞】 1. deep red 2. crimson 
紅白 : [こうはく]
 【名詞】 1. red and white 2. colours for festive or auspicious occasions (colors) 
紅白歌合戦 : [こうはくうたがっせん]
 (n) annual singing contest held on New Year's Eve
: [しろ]
 【名詞】 1. white 
: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 
歌合 : [うたあわせ]
 【名詞】 1. poetry contest 
歌合戦 : [うたがっせん]
 (n) singing matches
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 
合戦 : [かっせん]
 【名詞】 1. battle 2. engagement 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

第50回NHK紅白歌合戦 : ウィキペディア日本語版
第50回NHK紅白歌合戦[だいごじゅっかいえぬえいちけいこうはくうたがっせん]

第50回NHK紅白歌合戦』(だいごじゅっかいエヌエイチケイこうはくうたがっせん)は、1999年平成11年)12月31日NHKホールで行われた、通算50回目のNHK紅白歌合戦。19時30分 - 21時20分および21時30分 - 23時45分にNHK生放送された。
== 概要 ==

*第44回1993年)以来6年ぶりに放送開始時間が19:30(JST)に繰り上がった。
*当時の史上最多の観覧応募総数598,753通(約208倍)の中から約3,000人がホールで観覧した。
*両軍司会については、紅組司会には2年連続での登板となる久保純子(NHKの女性アナウンサーが複数回紅組司会を担当するケースは初めて)、白組司会にはこの年の大河ドラマ元禄繚乱』の主演・中村勘九郎(後の中村勘三郎)がそれぞれ起用された。前者は「NHK内の紅白司会者の希望アンケートで驚く程上位だったこと」、後者は「1900年代1000年代を振り返るには赤穂浪士歌舞伎が欠かせない」ということが選出理由とされた。歌舞伎役者からの司会起用はこれが初〔司会者発表 日刊スポーツ、1999年11月5日付。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕。勘九郎はかつて、大竹しのぶとのデュエットシングル「愛の朝」を発売したことがある程度で、音楽への関わりはほとんどなかった〔。勘九郎は司会発表会見で「(白組司会決定の際)重大な話があると聞かされ、(『元禄繚乱』内での)討ち入りのシーンの撮り直しかと思った」と述べ会場の笑いを誘った。
*当初、宇多田ヒカルの紅組歌手兼司会案もあったという。宇多田が出場を辞退した(後述)ことに合わせ、このプランは立ち消えとなり、紅組司会の有力候補に上がったのは藤原紀香(前回の審査員)、松嶋菜々子黒木瞳らである。この年の『思い出のメロディー』の司会が好評だった黒木は関係者から「『思メロ』の司会は紅白のテスト」という声がまことしやかに広がり、一時は本命と目された。一方、前回の高視聴率獲得から久保・中居正広SMAP)の両軍司会続投を推す声も多く上がった。最終的に紅組司会は久保が続投し、白組司会は勘九郎が選出された〔合田道人『紅白歌合戦の真実』〕。
*なお、翌年の『大河ドラマ』の主演者が審査員に起用されることが慣例的な中、前回勘九郎の審査員起用はなかった(応援ゲストでの出演もなし。なお、同作出演者の松平健が審査員を担当)。
*その他、一部マスコミ報道で白組司会の候補として爆笑問題(この年の『ポップジャム』の司会)の名前も挙がっていた〔爆笑問題、歌手デビュー SANSPO.COM、1999年10月21日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕。
*白組トップバッターのDA PUMPの歌唱前にここ2年間の白組司会であった中居が勘九郎を応援する場面があった。
*松たか子の曲紹介は勘九郎が行った。これは松と勘九郎が親戚、さらに松の初舞台の父親役が勘九郎だったことによるもの。その際、前回久保が自身が大ファンという理由で郷ひろみの曲紹介をしたことを挙げ、勘九郎が「去年の郷さんじゃないけど、この方だけ私に紹介させてほしいんです」と久保に対し述べた。
*紅白に正規の出場歌手には選出歴のなかったV6(当時。後に正式出場を果たす)とKinKi Kidsがそれぞれ第1部・第2部(前者が第2部、後者が第1部)のコーナーのプレゼンターとして登場した(ただし、V6は第46回1995年)にてTOKIOのバックダンサーとして、KinKi Kidsは第47回1996年)にて近藤真彦の応援として、それぞれ紅白出演経験がある〔曲順発表 、日刊スポーツ、1999年12月21日付。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕)。この演出の中で互いに持ち歌のサビを歌唱した(V6が「Believe Your Smile」、KinKi Kidsが「フラワー」)。KinKi Kidsはカウントダウンライブの出番終了からフジテレビ系列『LOVE LOVE2000』出演の合間を縫っての紅白出演となった〔前日リハーサル 、日刊スポーツ、1999年12月31日付。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕。
*立川談志は、勘九郎の抜き打ちで、ゲスト出演を果たした。
*当時プロ野球読売ジャイアンツ監督の長嶋茂雄から勘九郎(長嶋と親交があった)・白組への応援名目の電報が届けられ、勘九郎によって読み上げられた。
*勘九郎は本番前、西城秀樹の「Bailamos-Tonight we dance-(バイラモス)」のことを「“バイアグラ”って言ったらどうしよう」と不安がり、総合司会の宮本隆治が「『バイ』と『ラモス』で区切って、間で確認をされては」とアドバイスした。本番では無事曲紹介を成功させ、その後、舞台袖で2人で抱き合って喜んだという〔http://www.news-postseven.com/archives/20131222_231917.html 女性セブン 2013年12月26日号・2014年1月1日号〕。
*山川豊は2年越しの大ヒットとなった「アメリカ橋」を同作曲者平尾昌晃と共同で2年連続で熱唱。前回は持ち時間上割愛された2番目の一部も今回はリピート部分を除いてフルコーラスで歌われた。
*翌年の3月での解散を発表していたSPEEDメドレーや別れを告げる鐘の音を入れた「my graduation」の特別アレンジ版「my graduation '99」を熱唱。終了後は紅組出場歌手や事務所の後輩である白組のDA PUMPらに讃えられた。
*勘九郎が本番中に自身の携帯電話で『元禄繚乱』の共演者である渡辺えり子(現:渡辺えり)、大竹しのぶ六平直政に連絡・生出演を打診し、3人は第1部の白組トリおよび大トリである前川清の歌唱前に登場。急遽決まった演出のため3人に紹介テロップは表示されなかった。
*「第50回」を記念し、今回の出場歌手の中で組司会経験もある和田アキ子、松たか子、加山雄三堺正章、中居正広が久保・勘九郎とトークをするコーナーが設けられた。
*応援合戦のゲストとして、85周年を迎えた宝塚歌劇団月組と勘九郎との縁で歌舞伎が登場した。宝塚と歌舞伎の共演は初めてである。
*かつて交際していた松田聖子郷ひろみ第35回1984年)以来15年ぶりに直接対決した〔ことで話題になった。曲紹介時はそのことについては一切触れられなかったが、その後に行われた審査員・津川雅彦の感想インタビューの際、彼は聖子・郷に触れ「NHKもやるな」とコメントして、会場の笑いを誘った。
*審査員の乙武洋匡が感想を述べる際では、宮本が乙武にマイクを向けるという形で行われた。
*NHKが実施した「21世紀に伝えたい歌」と言うアンケートの1位が美空ひばりの「川の流れのように」であったため、ひばりを慕っていた天童よしみが当曲を歌唱した。
*五木ひろしは、『第15回日本レコード大賞』受賞曲であるにも拘らずこれまで紅白で歌われることがなかった「夜空」を歌った(アレンジが施されたものである)。
*紅組トリは和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、2年連続の紅組トリ担当となった。審査員であった同曲の作詞者阿久悠の目の前での歌唱であった。
*白組トリおよび大トリは北島三郎の「まつり」。
*50回記念回だったため、トリはそれぞれ両軍の最多出場歌手から選出された〔。
*特別審査員審査では6-5で紅組がリードしたが、客席審査で白組が逆転し、6-7で白組の優勝。
*優勝決定後、勘九郎は優勝旗授与のことを忘れ、出場歌手側に行こうとしたが、久保、宮本、和田に呼び止められ、優勝旗を受け取った。優勝旗を貰った勘九郎は『元禄繚乱』での大石内蔵助役での衣装に着替え、内蔵助役での演技そのままに白組歌手と勝どきを上げた。そして、エンディングでの「蛍の光」大合唱中に『元禄繚乱』にちなんで赤穂浪士の格好をした野猿他白組歌手が勘九郎を胴上げした。また、「蛍の光」終了後に和田が久保の頭を撫でる一幕があった。
*番組終了後、後座番組『ゆく年くる年』放送中の23:58(30秒)頃より画面が紅白終了直後のNHKホール内の映像に切り替わり、紅白出演者および観客による2000年に向けてのミレニアムカウントダウンの模様が放送された。その後、同回のオリジナルソングとして制作された「21世紀の君たちへ〜A song for children〜」の出演者による大合唱も行われた(先述も参照)。通常、総合テレビの年越しの瞬間は『ゆく年くる年』内でシンプルに進行しており、様々な形式(大勢が賑やかに迎えることが通例)で新年のカウントダウンが行われる民放テレビ各局の年越し番組とは確実な差異があるが、この際のみ例外であった。
*第1部ラストと番組終了後(前述)に、出場歌手でオリジナルソング「21世紀の君たちへ〜A song for children〜」を大合唱した。番組終了後の歌唱時は、審査員も合唱に参加し、田村亮子(現:谷亮子)も大きな声で歌っていた。同曲は番組側が、「紅白50回」と「未来へのメッセージソング」と言うテーマでスティービー・ワンダーにオリジナルソングの制作を依頼し、さだまさしが日本語歌詞に翻訳したものである。
*関東地区における視聴率〔ビデオリサーチ社調べ〕は、第1部の平均が45.8%と2部制になってから最高を記録した一方で、第2部の平均は50.8%と前回より約6ポイント低下。瞬間最高視聴率は郷ひろみが「GOLDFINGER '99」を歌い終えた頃の22:47で、56.6%である〔郷ひろみ“7000万人”が見た SANSPO.COM、2000年1月4日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)〕。また、今回を最後に関東地区での平均視聴率50%台超は達成されていない。
*勘九郎は今回の白組司会について、「(紅白の司会は)最初で最後」と発言〔http://zardthebest.tripod.com/extern/sponichi.html スポーツニッポン〕し、実際紅白の司会担当は今回1度限りであった。翌年の第51回では、勘九郎の意向に合わせNHK側も彼に白組司会続投の要請はせず、白組司会は2001年の大河ドラマ『北条時宗』の主演・和泉元彌に交代した(なお、紅組司会は翌年も久保が続投)。ただし、勘九郎は第51回に応援ゲストとして出演している。
*この年の3月を以って同局「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさんうたのおねえさんを卒業した速水けんたろう茂森あゆみが同人物として半年ぶりにNHKに出演したが、うたのおにいさん・うたのおねえさんとして再びNHKの番組に(時間と番組が違うとはいえ)出演するのは現行の出演者のイメージを重視するNHKとしては異例のことであり、非常に貴重な映像となっている。この映像は「NHKアーカイブス」などで度々再放送されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第50回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.