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第46親衛夜間爆撃航空連隊 : ミニ英和和英辞書
第46親衛夜間爆撃航空連隊[だい46しんえいやかんばくげきこうくうれんたい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
親衛 : [しんえい]
 【名詞】 1. monarch's guards 
: [よる]
  1. (n-adv,n-t) evening 2. night 
: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
: [ばく]
  1. (int) exclamation 2. burst of laughter
爆撃 : [ばくげき]
  1. (n,vs) bombing (raid) 
航空 : [こうくう]
 【名詞】 1. aviation 2. flying 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
: [むらじ, れん]
 【名詞】 1. party 2. company 3. group 
連隊 : [れんたい]
 【名詞】 1. regiment 
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps

第46親衛夜間爆撃航空連隊 : ウィキペディア日本語版
第46親衛夜間爆撃航空連隊[だい46しんえいやかんばくげきこうくうれんたい]

第46親衛夜間爆撃航空連隊()は、ソビエト連邦赤色空軍第二次世界大戦中に有した女性部隊の1つである。マリーナ・ラスコーヴァ大佐のアイデアにより設置され、少佐が指揮官を務めた。ドイツ側からは「夜の魔女」(、)の異名で恐れられた。
== 概要 ==
大祖国戦争が始まった直後から、ラスコーヴァの元には民間の女性パイロットから前線勤務を志願する手紙が大量に寄せられていた。ラスコーヴァはこれを受けて特別な女子連隊の設置を提案し、当局も検討を行ったものの、他国での前例が無いことなどから反対の声が大きかった。それでも1941年秋にはヨシフ・スターリン書記長からの承認を受けて志願兵の募集が始まった。1942年5月27日、17歳から22歳までの女子115人をもって連隊が編成され、6月12日には最初の出撃が行われた。
上級部隊はであった。当初の部隊名は第588夜間爆撃連隊で、1943年2月に第46親衛夜間爆撃航空連隊と改称され、1943年には称号を加えた第46「タマン」親衛夜間爆撃航空連隊と改称されている。「タマン」の称号は、1943年のタマン半島における2つの勝利()に関連して与えられたものである。
連隊に与えられた任務はドイツ軍に対するおよび精密爆撃である〔"We were called Night Witches " by Rakobolskaya I. V. Kravcova N. F. Moscow:MGU, 2005 ISBN 5-211-05008-8〕。また、パルチザンへの物資や郵便物の投下も第588連隊の任務であった〔。
最大時で40組の隊員を有した。彼女らは合計23,000回以上の飛行任務に従事し、3,000トン以上の爆弾を投下したとされる。赤色空軍において最も受勲者を輩出した女性部隊でもあり、23人の隊員がソ連邦英雄に選ばれている。1942年の結成から終戦までの間に各パイロットとも800回以上の出撃を達成し、また隊員のうち30人が戦死した。
連隊の主力機は1928年設計のPo-2連絡機であった。同機は主に練習機や連絡機、あるいは農薬散布などの用途に使用されており、航空史上最も生産された複葉機としても知られる。Po-2には6発の爆弾が積載できた為、一晩あたり複数の爆撃任務を行うことができた。Po-2は1942年の時点でも旧式機と見なされていたが、パイロットらはこれを逆手に取ってドイツ空軍に挑んだ。すなわち、Po-2の最高速度がドイツ側主力戦闘機メッサーシュミット Bf109およびフォッケウルフ Fw190の失速速度よりも低かった為、ドイツ空軍機がPo-2を撃墜する事は非常に難しかったのである。爆撃地点に近づいたPo-2はエンジンをアイドル状態にして、滑空しながら爆弾の投下を行った。この際に特徴的な風切り音が生じるが、ドイツ軍人達はこの風切り音をホウキになぞらえ、彼女らを「夜の魔女たち」と呼び始めたのだという。ドイツ側では「夜の魔女」を1機撃墜する度に鉄十字章が授与されたという。爆弾は機体の腹部に吊り下げられたほか、小型のものを機内に積み込み、手で投げ落とすこともあったという。これらの爆弾には当初「母国のために!」といったスローガンが書き込まれていたが、やがて代わりに戦死した隊員の名前が書かれるようになった〔。
大量に爆弾を積載する都合と主に低空飛行による任務遂行を想定していたことから、連隊所属のパイロットらは落下傘を装備していなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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