翻訳と辞書
Words near each other
・ 第4.5世代戦闘機
・ 第401飛行隊
・ 第401飛行隊 (航空自衛隊)
・ 第402砲兵連隊 (フランス軍)
・ 第402飛行隊
・ 第402飛行隊 (航空自衛隊)
・ 第403飛行隊
・ 第403飛行隊 (航空自衛隊)
・ 第404飛行隊
・ 第404飛行隊 (航空自衛隊)
第40号駆逐艦
・ 第40回NHK紅白歌合戦
・ 第40回アカデミー賞
・ 第40回カンヌ国際映画祭
・ 第40回グラミー賞
・ 第40回ゴールデングローブ賞
・ 第40回スーパーボウル
・ 第40回ニューヨーク映画批評家協会賞
・ 第40回バスケットボール日本リーグ
・ 第40回ブルーリボン賞 (鉄道)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

第40号駆逐艦 : ミニ英和和英辞書
第40号駆逐艦[だい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [ごう]
  1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

第40号駆逐艦 ( リダイレクト:東雲 (吹雪型駆逐艦) ) : ウィキペディア日本語版
東雲 (吹雪型駆逐艦)[しののめ]


東雲(しののめ)は日本海軍駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第四十號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 東雲(シノノメ)トス』〕〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.48『一等驅逐艦 "東雲 しののめ" 全要目排水量1,700噸 速力34.0節 備砲12.7糎砲6門 魚雷發射管9門 起工大正15年8月 竣工昭和3年7月 建造所佐世保海軍工廠}東雲も浦波と同型の1,700噸級の驅逐艦である。浦波のところで驅逐艦の使命とするところは魚雷襲撃にあると云つたが、その外に驅逐艦は種々の重用任務に使用される。その中第一に擧ぐべきは潜水艦撃攘である。その得意とする快速力と輕快極まる操縦性及び潜水艦の魚雷を恐れぬ吃水の淺少さ等を利して敵潜水艦のゐる海上を爆雷を投射しつゝ縦横無盡に走りまはる驅逐艦は潜水艦にとつては何よりも恐るべき敵であらう。故に驅逐艦に襲はれたら最後潜水艦は上記の如き驅逐艦の特長と全然相反する弱點をもつため到底これに刄向ふ力はなく、うまく逃げをはせることが出來れば僥倖と云ふところである。』〕。特型(一等駆逐艦吹雪型)の6番艦〔#艦艇類別等級表(1941年12月31日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|吹雪型|吹雪、白雪、初雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波、敷波、天霧、狭霧、夕霧、朧、曙、漣、潮、暁、響、雷、電、朝霧』(4番艦の深雪は除籍済)〕。当初の艦名は、第四十号駆逐艦〔。雲級(くもクラス)の1隻〔#ポケット海軍年鑑(1937)p.47『一等驅逐艦 "叢雲むらくも" 全要目 一等驅逐艦中、特型と呼ばれるのがこの1,700頓驅逐艦である。12.7糎砲は6門、魚雷發射管は實に9門を有つてゐる大型驅逐艦である。長さ113.2米、幅10.3米、平均吃水2.97米。近頃は驅逐艦も航空機に對する兵装を改善し、更に新鋭なる武器を装備し、空中からの攻撃を反撃しつゝ戦闘をつゞけなければならない。水上にあつては隊伍を組んで主力艦に肉薄し魚雷戦を挑む外に水中の敵潜水艦を驅つて輕快なる運動と機敏なる操縦によつて爆雷をもつて戦ふのである。驅逐艦生活も亦、限りなく男兒を魅するかずかずの壮烈さをもつてゐる。雲級には"薄雲うすぐも" "白雲しらくも" "東雲しののめ"がある。』〕。この名を持つ日本海軍の艦船としては東雲型駆逐艦「東雲」に続いて2隻目。
==艦歴==
1926年(大正15年)6月25日浦賀船渠で建造の駆逐艦に「第三十三号駆逐艦(望月)」〔#達大正15年6月p.23『第五十二號 艦艇製造費ヲ以テ大正十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス|大正十五年六月二十五日 海軍大臣財部彪|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第三十三號驅逐艦』〕、舞鶴工廠の駆逐艦に「第三十五号駆逐艦(吹雪)」、佐世保海軍工廠の駆逐艦に「第四十号駆逐艦(東雲)」の艦名が与えらる〔#達大正15年6月p.23『第五十三號 艦艇製造費ヲ以テ大正十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|大正十五年六月二十五日 海軍大臣財部彪|舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 第三十五驅逐艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第四十號驅逐艦』〕。同日附で「第33号駆逐艦、第35号駆逐艦、第40号駆逐艦」は一等駆逐艦に類別〔#達大正15年6月p.24『第五十四號 艦艇類別等級表中驅逐艦一等ノ項「第三十二號」ノ下ニ「第三十三號」ヲ、「第三十四號」ノ下ニ「第三十五號、第四十號」ヲ加フ|大正十五年六月二十五日 海軍大臣財部彪』〕。8月12日、「第40号駆逐艦(東雲)」は佐世保工廠で起工〔#現在艦船要目公表範囲(1937年12月1日)p.4『東雲|一等驅逐艦|(艦要目略)|佐世保工廠|大正15-8-12|昭和2-11-26|昭和3-7-25|(兵装略)』〕。1927年(昭和2年)11月26日に進水、1928年(昭和3年)7月25日に「第40号駆逐艦」として竣工〔。同年8月1日附で「第40号駆逐艦」は「東雲」と改名される〔。竣工後、雲級四隻の第12駆逐隊(叢雲、東雲、薄雲、白雲)に編入。同年12月1日、同駆逐隊は第二艦隊第二水雷戦隊に編入された。1931年(昭和6年)、「東雲」は第12駆逐隊から除籍され、「東雲、吹雪磯波」の吹雪型3隻であらたに第20駆逐隊を編制した。
1936年(昭和11年)年末の編制変更により第20駆逐隊は除籍され、「吹雪」は第11駆逐隊、「東雲」は第12駆逐隊、「磯波」は第19駆逐隊にそれぞれ編入された〔#内令提要編制(1936年12月1日)pp.5-6『驅逐隊編制 昭和十一年十二月一日 内令第四百七十一號』〕。
1938年(昭和13年)11月から翌年11月まで、第12駆逐隊は空母「龍驤」および「蒼龍」と第二航空戦隊を編制した。日中戦争に際しては1940年(昭和15年)以降、華南での沿岸作戦、北部仏印進駐作戦などに参加した。同年5月、「薄雲」が触雷し、第12駆逐隊から除籍される。
太平洋戦争では、第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将:旗艦「川内」)隷下の第12駆逐隊(駆逐隊司令小川莚喜中佐:白雲東雲叢雲)に所属し南方侵攻作戦に参加。
1941年(昭和16年)12月13日、ボルネオ島ミリ攻略作戦に参加する為に上陸船団を護衛してカムラン湾を出撃。15日、ミリ沖に到着。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東雲 (吹雪型駆逐艦)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese destroyer Shinonome (1927) 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.