翻訳と辞書
Words near each other
・ 福岡市雁の巣レクリエーションセンター野球場
・ 福岡市電
・ 福岡市高速鉄道
・ 福岡市高速鉄道建設局
・ 福岡帝拳
・ 福岡帝拳ジム
・ 福岡帝拳ボクシングジム
・ 福岡師範学校
・ 福岡帰行
・ 福岡常葉高等学校
福岡干孝
・ 福岡平野
・ 福岡幼児3人死亡事故
・ 福岡康夫
・ 福岡建設専門学校
・ 福岡弁
・ 福岡弘乳舎
・ 福岡徳洲会病院
・ 福岡忠雄
・ 福岡恋愛白書


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

福岡干孝 : ミニ英和和英辞書
福岡干孝[ふくおか ゆきたか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [ひ, ほし]
 (n,pref) dried
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 

福岡干孝 : ウィキペディア日本語版
福岡干孝[ふくおか ゆきたか]

福岡 干孝(ふくおか ゆきたか、弘治3年(1557年) - 寛永9年6月13日1632年7月29日))は、日本戦国武将土佐藩初期の重臣。
== 生涯 ==
通称は市右衛門、内膳、丹波。父は大和国添上郡狭河城主で松永氏筒井氏に仕えた福岡重孝
幼少のころは大和信貴山城の松永氏の人質となる。松永氏滅亡後は諸所を流浪したのち、1582年近江長浜城主となった山内一豊に仕えた。小田原征伐では山中城攻略戦で功を立てる。山内氏の掛川城移封により500石給われて仕置役になる。熟慮断行で経済の才にすぐれ、軍資金調達や運用に手腕を発揮した。関ヶ原の戦い後の山内氏の土佐入国にあたり、1,000石を給されて中老についた。
2代藩主山内忠義のとき、老年の故をもって辞職した。元和末年に至り、幕府の課役に苦しんだ土佐藩は干孝を旧職に復して対策を請ぜさせて、また藩財政の整理をした。1632年(寛永9年)6月13日没。76歳。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「福岡干孝」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.