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福山雅治のallnightnipponSaturdaySpecial・魂のラジオ : ミニ英和和英辞書
福山雅治のallnightnipponSaturdaySpecial・魂のラジオ[ふくやま まさはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [たましい]
 【名詞】 1. soul 2. spirit 

福山雅治のallnightnipponSaturdaySpecial・魂のラジオ ( リダイレクト:福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ ) : ウィキペディア日本語版
福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ[ふくやままさはるのおーるないとにっぽん さたでーすぺしゃる たましいのらじお]

福山雅治のオールナイトニッポン サタデースペシャル・魂のラジオ(ふくやままさはるのオールナイトニッポン サタデースペシャル・たましいのラジオ、通称:魂ラジ(たまらじ))はシンガーソングライター俳優福山雅治と、ニッポン放送・元アナウンサーで現在フリーアナウンサー荘口彰久(出演は2004年1月 - 3月までと同年9月以降)がパーソナリティを務めるニッポン放送のラジオ番組である。および、オールナイトニッポンオールナイトニッポンサタデースペシャルシリーズの中の一つである。2015年3月28日の放送をもって終了した〔。
== 番組概要 ==

*放送開始は2000年(平成12年)3月25日北海道から沖縄まで全国ネット。福山雅治の冠番組である。
*番組開始時はニッポン放送の深夜レーベルであるLF+R内の番組だったためタイトル表記は『福山雅治のallnightnippon Saturday Special 魂のラジオ』だったが、LF+Rレーベル終了に伴い、2003年4月より現在の表記になった。
*番組開始当初はスポンサーの意向で、前番組ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!から引き続き、福山とリスナーとの電話でのやりとりをメインとした内容だった。また、過去に『福山雅治のオールナイトニッポン』を担当していた福山本人の意向でニッポン放送の深夜帯の番組で放送することから「オールナイトニッポン」の名称を使用することになった。
:このため、オープニング曲はオールナイトニッポン各番組で使用されている「BITTERSWEET SAMBA」は使用されずに、ラモーンズの「Do You Remember Rock'N'Roll Radio?」が使用されている。エンディング曲は『福山雅治のオールナイトニッポン』時にも使用していたエリック・クラプトンの「Tears in HEAVEN」である。
*福山は1992年(平成4年)から『福山雅治のオールナイトニッポン』を担当しており、番組終了時点ではシリーズ全体で福山がもっとも早くから担当していたことにはなるが、福山の番組は「魂のラジオ」開始までの2年間放送が中断したため、放送期間でいえばナインティナイン(2014年8月現在で20年4ヶ月を迎えた)が最も長く担当していることになる(福山は2014年8月現在、ナインティナインに次いで20年)。ちなみに、1994年6月まで木曜1部を担当していた福山雅治が音楽活動(全国ツアー)を3ヶ月間するために空いた枠に急遽抜擢されたのがナインティナインだった。途中時間帯の移動はあったが、福山が担当していた木曜1部を引き継いでから現在もオールナイトニッポン木曜を担当し続けている。2014年4月の時点で、有楽町のニッポン放送第1期旧社屋時代から、お台場旧社屋 - 現 有楽町ニッポン放送第2期社屋までオールナイトニッポンシリーズのレギュラーパーソナリティを務めているのは、ナイナイと福山の2組のみである。
 *ナインティナインについては、2000年9月2日と2012年3月31日に岡村隆史が単独で、2007年8月25日の放送で岡村と矢部浩之が揃ってゲスト出演を果たした。
  *2007年の出演では、当時日本テレビ系列で23:30 - 24:00にレギュラー番組『ナイナイサイズ!』を放送していた関係で、24:00から登場した。
  *2012年の岡村の出演は、福山が2011年に発表した楽曲「家族になろうよ」を、同年4月から岡村が単独で出演するテレビ東京系列の番組(『家族になろう(よ)』)のタイトルに使うことが縁で実現した。岡村が放送中にタイトルの使用許諾を求めたところ、福山が快諾。生放送にもかかわらず、岡村の提案で福山が同番組の題字を毛筆でしたためたり、2人で声を揃えて「家族になろうよ」を歌ったりする展開になった。この放送の模様を収めた映像は、同番組の第1回(2012年4月13日)でも流れている。ただし、荘口は声だけの出演であった。
*インターネット生放送は2000年4月から2004年9月まで行われていた。
*2000年代になってほとんどの番組は5年以内の短期間で終了してしまっている平日月曜日 - 金曜日)の22時台ワイド番組とは違い、土曜日のこの "魂ラジ" はメインターゲットにしている中高生だけではなく、小学生や年配リスナーからの投稿も稀にあり、老若男女を問わず幅広いリスナーに根強い人気を誇っており、特に福山が大河ドラマに主演した後は年配リスナーが急増した。聴取率も良く、2000年4月のスペシャルウィークより連続で聴取率トップの座を維持しており、2000年代のニッポン放送を代表する番組となっている。2010年3月に番組は10周年を迎えた。
*番組のオープニングの挨拶として、バイク好きの福山は「こんバイク」、少々ぽっちゃり気味の荘口は「こんムチムチ」を使用することが多い。リスナーもメールの書き出しはこれらを使用するが、何についてのメールかによってかなり応用がきく。新曲についての場合はタイトルや歌詞の一部を引用したりする。ドラマや映画についても同様である(例「こんアンモナイト」「こんガリレオ」「こん龍馬伝」など)。これらの挨拶はリスナーからのメールでも頻繁に使われる。エンディングでは福山は「ばいバイク」、自転車好きの荘口は「ばいバイスクル」(発音は「ばいバイセコー」に近い)をよく使用する。
:東芝がスポンサーになってからは「こんレグザ」(現在は「こんグラスレス」)「ばいバルディア」をよく使用していた(ナインティナインのオールナイトニッポンの「わあわあ言うております。お時間です。さようなら」と同様で番組を締めるときにさびしくならないために使用。)。また、ゲストが来た際にはそのゲストゆかりの挨拶をリスナーが使用する(前田敦子の「こんAKB48」、奥貫薫の「こん板橋マダムス」など)。
*番組のエンディングでは、一般的なラジオと同じく改めて名乗る。福山が「お相手は」と言うと荘口が「荘口と」と言い、福山が更にそれを受けて自分の名前を言う。しかし実際は正しく名乗ることは滅多になく、その週の内容によって毎週変わる。ウケを狙うことが多い(AKB48のヘビーローテーションの生演奏でエンディングを飾った際は「あっちゃんでした」と名乗るなど)。
*以前福山が「ラジオ界の国宝」と称されたことから、リスナーからは「国王」と呼ばれる。これに伴い、リスナーは「国民」「おまえら」と呼ばれる。また、長崎ふるさと大使に就任してからは長崎に関するメールの時は「大使」とも呼ばれる。
*毎年1月ごろから今年のコーナー(企画)を決めて4月ごろまで放送するが、その後は一切やらなくなる傾向にある。
:2003年度はAMラジオ普及企画(その当時AMラジオ離れに関するメールが多かったため。)、2005年度はマシャの英会話教室、2006年度は魂のオリジナルコンドーム(略称:オリコン)、2007年度は『東京タワー - ボクとラジオと時々オカン - 』など。
*番組内で使用される「宇宙初フルぶっかけ」は、自身の新曲初披露を意味する。これは、アダルト用語の「ぶっかけ」と「曲をかける」をひっかけたもので、「ぶっかけ」時はリスナーはラジオの前に正座し、半目で上を向き、さらに口をあけて放送を聴かねばならず、「ぶっかけ」前に投稿されるメールには「ラジオの前で正座して、口をあんぐり開けて待っています」といったような内容が多くみられる。
:特に指定がない時はフルサイズでの新曲初披露を指し、披露後のリスナーの「おねだり(またはおかわり)」を受けて結局2回放送することが多い。アルバム「残響」の発表時は、多数の未発表オリジナル曲を含んでいたために「チョロぶっかけ」が初めて試みられた。これは未発表曲をサビのあたりまでしか流さないというもので、以降は曲をBGMに福山と荘口のトークがかぶせられため、曲自体はほとんど聴き取れなかった。また、類似語として「初ぶっかけ」前にCMなどでその楽曲が流れていた場合は「ガマン汁」という。
*福山の事務所の先輩である桑田佳祐が担当している「桑田佳祐のやさしい夜遊び」同様に下ネタや放送禁止用語が多い。
 *2012年の4月22日のスペシャルウイーク(聴取率週間)では企画が何にもなく、ちょうど前日に放送された『小島慶子のオールナイトニッポンGOLD』で小島慶子が「どんなに下ネタを言ってもヒカれない男性がどういうものか知りたい方は、明日の福山雅治の魂のラジオを聴いて下さい。」とラジオを聞いた福山が「今週は下ネタ特集をするか」と下ネタ大会となり、リスナーから生放送で下ネタを募集した。
*2009年4月18日の放送で、福山は新曲「化身」の初披露にあたりWikipediaの上記項目の記述に触れ、そのほとんどが荘口の発言であると言い張った。
*番組放送中に24時になるが、そのときに時報が流れるところと流れないところがある。番組ではニッポン放送の時報に合わせ、話の途中であっても福山が「12時!」とコールしている。また、2012年3月31日の放送で岡村がゲスト出演した際に、福山が「12時」とコールしたが、岡村は「ナインティナインのオールナイトニッポン」で毎週言っているせいか「2時」とコールしてしまった。
:「ナインティナインのオールナイトニッポン」(木曜25:00-27:00)でもナインティナインの岡村隆史が時報に合わせて「2時!」とコールしているが岡村は随分前から使用している。2009年以降は「いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン」や「城田優のオールナイトニッポン」でも2時のコールをしている。
:ただし、ニッポン放送が24時で放送を終了するとき(いわゆる飛び降り。2011年1月30日未明の「ニッポン放送サッカースペシャル アジアカップ決勝 × 実況中継」など)では、「12時!」コールをせず、ギリギリまで放送して、「それではここで、関東のみなさんとは、また来週です」と挨拶する(ただし、茨城放送がネットしている為厳密には関東一円ではない)。
*2008年末頃から、聴取率調査期間(番組内では「スペシャルウィーク」と呼ばれる)になると、なぜか鍋料理を食べながら放送をするようになった。
:これには最近周りが心配するほど働き詰めな福山の疲労回復効果もあるため、ニンニクがゴロゴロ入っていたり(福山が一人でほとんど食べてしまった)、体にいい薬膳が入っている鍋が用意された。不景気だからとスタッフの青木が作った鍋も結構本格的だったため、福山は「こんなんだったら毎週頼む」と発言した。調理が難しい薬膳キノコ火鍋は、専門店からわざわざ女性スタッフを呼んでリアルタイムで調理してもらった。見たこともないキノコに福山は興味津々で、絶えず「これは何ですか?」と質問し、教えてもらった名前をエコー付きで叫びながら堪能した。
:この流れの発端はおでんであったが、美味しいおでんに気分がよくなった福山はSOH+(後述)を急遽復活させ、気分のままに「北酒場」「あの素晴らしい愛をもう一度」などを歌った。
:鍋料理の音を拾うマイクは番組の元スタッフが愛用していたものを使用する。
*本番中にも関わらず飲食しまくりなフリーダムな番組である。多忙を極める福山は、疲労回復や眠気覚ましのためにのど飴・餡子・ケーキ類などを食べ、マッサージ道具を持ち込んでマッサージをしながらであったり、喉に電流を流しながら番組を進行したりする。また、お祝い事(例:番組の○○回放送記念・福山、荘口、その他スタッフの誕生日)などがあるとほぼ必ず特注ケーキが登場し、シャンパンなどの酒を飲む。
*学生はもちろん、タクシーの運転手・某財閥系不動産会社の社員・鉄道関係者・いわゆる大人のオモチャ販売店の店主まで、リスナーの職業は幅広く、リスナーでない職業のほうが少ないのではと言われるほどである。トークに対する反応も素早く、話の内容が専門的な部分まで掘り下げられ、福山・荘口両名が「わからない。誰か教えてくれ」といったことを漏らすとすぐに専門家から回答が送られてくる。
*数多くの芸能関係者や著名人、芸能人がリスナーであることが発覚している(玉木宏市川亀治郎、、草刈民代など大河ドラマ『龍馬伝』出演者やスタッフ達など)。ラジオで発言したことが話題の当人に直接伝わるケースも少なくないため、ラジオの発言が元で実現したこともある(映画ドラえもんへのカメオ出演など)。また、福山が番組内で特定の人物を褒めたり、関連商品を紹介したりすると、翌週に本人からのお礼のメールが届くこともある。
*阪神・淡路大震災世界エイズデーに最も近い週には必ず特別プログラムが組まれるなど、ある程度毎年決まった流れも存在する。エイズウィークでは大学から専門講師を招き、素朴な疑問質問を受け付けるなど、啓発活動に貢献している。
*2011年3月11日に発生した東日本大震災の支援番組「東日本大震災被災地復興支援 ニッポン放送ラジオ・チャリティー・ミュージックソン スペシャル 『I'm with U キミと、24時間ラジオ』」を放送した際、Twitterで公式アカウントを取得しリアルタイムでリスナーの反応を反映した。企画終了後はアカウントの行方が議論されたが、番組公式ツイッター(@FUKUYAMA24)として継続することになった。主にスタッフ陣や荘口がつぶやく。福山もごくたまにつぶやくが、慣れていないため、その姿は荘口曰く「おじいちゃんのよう」らしい。
* 2006年10月7日から2008年3月29日までの間は、ニッポン放送では通常編成の場合放送時間が翌日に跨る唯一の番組となっていた。また、北陸放送では2013年現在通常編成の場合放送時間が翌日に跨る唯一の番組となっている。
* 2014年12月6日の放送で福山自身が番組終了を発表した。なお、番組終了については福山自身が決断したといい、2014年に入って関係者に対して伝えていた〔。福山は2014年12月13日の放送の中で「深夜放送のパーソナリティーを卒業します」とした上で、「1番(の理由)は生放送を続けていくのが難しい」「体力的に厳しい。眠いな、と」と話した上で、理由を説明し、リスナーにお詫びした。なお、福山がラジオの深夜放送をするのが厳しいと思い始めたのは、「2010年の『龍馬伝』のとき」だったという、また、福山は「ぼくにとって、深夜の生放送というのがラジオをやる上で大切なポイントだった」とニッポン放送側から打診された別の時間帯での番組継続を辞退した理由についても語った〔。
* 魂ラジ自体の放送期間は15年となるが、前身番組の福山雅治のオールナイトニッポンの担当期間(1992年1月9日から1998年3月まで放送)を含めると21年4か月〔、足掛け(中断期間を含む)では23年となる。
* 前年にナインティナインのオールナイトニッポン』が終了(現在は『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』が放送されている。)したため、オールナイトニッポンのヘビーリスナーに衝撃を与えた。
* 2001年10月から行われている(番組自体は2000年3月25日から始まっている)ビデオリサーチによる首都圏ラジオ聴取率調査では、2014年10月まで79回中77回にわたって同時間帯トップを獲得した〔。
* 2015年3月28日、空白期間を含み約23年にわたって放送されてきた福山が担当するオールナイトニッポンの歴史に幕を閉じた〔。当日番組開始前には約3,000人、終了後には1,000人のファンがニッポン放送本社前に駆けつけた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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