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大友正人 : ミニ英和和英辞書
大友正人[おおとも まさと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

大友正人 : ウィキペディア日本語版
大友正人[おおとも まさと]

大友 正人(おおとも まさと、1961年1月22日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード
== 来歴 ==
日本大学高校時代にチームのエースとして、第56回全国高校サッカー選手権へ出場。
卒業後は大学進学を目指して予備校に通っていたが、1979年のシーズン途中より、日本サッカーリーグ(JSL)1部に所属する読売クラブの選手として追加登録されると、同年のJSLカップでは準決勝・決勝戦合わせて3得点の活躍で、クラブに初タイトルをもたらした。その後も快足の左ウイングとして長きに渡りレギュラーに定着。80年代に世界的スーパースターであったアルゼンチンのディエゴ・マラドーナになぞらえて「和製マラドーナ」の異名をとった。また、1981年には青山学院大学二部(夜間)に合格し、サッカーと学業の両立を成功させた。
1980年2月6日、岡山・岡山県営陸上競技場におけるウイペシュティ・ドージャ(ハンガリー)との国際親善試合で日本代表デビューし〔代表TIMELINE | SAMURAI BLUE サッカー日本代表| 日本サッカー協会 〕、国際Cマッチ2試合に出場。
1983年にはリーグ3位タイとなる5アシストを記録して、読売クラブのJSL初優勝に貢献した。
JSL1部通算105試合出場18ゴール19アシスト〔『日本サッカーリーグイヤーブック1989~90』(日本サッカーリーグ編 南雲堂 1989年)〕。
現役引退後、当時は無名だった武相高校サッカー部の監督に就任すると、2002年にインターハイ初出場、2009年には全国高校サッカー選手権初出場へと導き、神奈川県を代表するサッカー強豪校へと育て上げた。また、2003年に行われた静岡国体では神奈川県選抜の監督としてチームを率い、日本一の座に輝いた〔静岡国体祝勝会/スピーチ集 2014年2月25日閲覧。 〕。
2015年4月よりクラブ・ドラゴンズ柏のコーチに就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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