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呉濁流 : ミニ英和和英辞書
呉濁流[ご だくりゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ご]
 【名詞】 1. giving 2. doing (something) for 
濁流 : [だくりゅう]
 【名詞】 1. muddy stream 
: [りゅう]
  1. (n,n-suf) style of 2. method of 3. manner of 4. school (of thought) 

呉濁流 : ウィキペディア日本語版
呉濁流[ご だくりゅう]
呉 濁流(ご・だくりゅう、 1900年6月2日 - 1976年10月7日)は、台湾作家詩人。本名は呉 建田()。濁流は後のペンネームで、教師、記者を経て作家となった。日本統治時代に生まれ、台湾人でアイデンティティ問題を取り扱った先駆者である。代表作には『アジアの孤児』などがある。
==生い立ち==
1900年台湾の新竹県新埔鎮、客家の家庭に生まれる。忙しい両親に代わって祖父に面倒を見てもらい、領台当初における抗日の話を聞いたり、伝統的学問の薫陶を受けたりして育った。しかし1910年、村の書房廃止をきっかけに、公学校に入学することとなった。1916年新埔公学校を卒業し、台北師範学校に入学。4年後、同学校を卒業し、新埔公学校の照門分校に配属されるも、授業内容や論文が植民地教育に対して否定的であり、過激という理由から、たった2年で苗栗県西湖郷四湖公学校へと左遷された。ここで、日本人女性教師袖川氏と出会う。彼女の勧めにより、日本語で書いた短編小説集『くらげ』を、雑誌「台湾新文学」上に発表。これを機に、彼の小説家としての作品づくりが始まる。また彼はこの時、高度な日本教育を受けているにもかかわらず、自らの漢詩への興味から「苗栗詩社」に参加した。彼の、生活上の細部・経歴・思想・感情といったものを表現した漢詩は、1000以上にも上るとされている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「呉濁流」の詳細全文を読む




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