翻訳と辞書
Words near each other
・ 加藤普章
・ 加藤景員
・ 加藤景廉
・ 加藤景忠
・ 加藤景正
・ 加藤晴久
・ 加藤晴子
・ 加藤晴子 (あみん)
・ 加藤晴子 (中国語学者)
・ 加藤晴彦
加藤晶
・ 加藤智也
・ 加藤智大
・ 加藤智子
・ 加藤智栄美
・ 加藤智男
・ 加藤智見
・ 加藤暁
・ 加藤暁子
・ 加藤暁彦


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

加藤晶 : ミニ英和和英辞書
加藤晶[かとう あきら]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

加藤晶 : ウィキペディア日本語版
加藤晶[かとう あきら]

加藤 晶(かとう あきら、1931年8月22日生。)は、日本競輪選手会京都支部に所属していた元競輪選手日本競輪学校第5期生。
== 来歴 ==

1952年にデビュー。捲りの名人という異名を持ち、後に戸上守白鳥伸雄も得意とするようになる、「三角捲り」(いわゆるショート捲り)を確立した最初の選手とも言われている。同時期に活躍した同じ京都の選手であった松本勝明や、滋賀中井光雄といった選手たちと比較すると地味な存在だったが、ここ一番の舞台で勝負強いところを見せ、6回の特別競輪制覇を果たした。
とりわけ、鈴木保巳が競輪中継等でそのことを高く評価していたが、特別競輪の決勝戦には進出できなくとも、決勝戦の一つ前のレースとして行われる順位決定戦(準決勝の4~6着の面々で行われるレース)ではほとんど1着を取っていた。また、荒木実にマーク型の選手を勧めたのは加藤であるが〔今だから言えること(月刊競輪2004年10月号) 〕、荒木はその後、高松宮杯競輪を2回制覇した。
1965年競輪祭を完全優勝で制覇したときは34歳で、当時の特別競輪史上最年長優勝記録であった。また、選手生活の晩年には、「最後の1000勝選手達成か?」という話が競輪マスコミ等からしばし取り上げられたこともあったが、惜しくも通算989勝に止まり、1985年6月11日に引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「加藤晶」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.