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内藤宇兵衛 : ミニ英和和英辞書
内藤宇兵衛[ないとう うへえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy

内藤宇兵衛 : ウィキペディア日本語版
内藤宇兵衛[ないとう うへえ]

内藤 宇兵衛 (ないとう うへえ、1859年2月8日安政6年1月6日) - 1926年大正15年)4月6日)は、甲斐国出身の貴族院議員、山梨県の名望家。
少年期から漢学、英書を学び俊秀の誉れが高く、村会議員、村長を歴任後、県会議員、中巨摩郡会議員となる。1904年、多額納税者の互選による貴族院議員に選出された。
== 略歴 ==

甲斐国巨摩郡築地新居村(現・中巨摩郡昭和町)で、父「宇兵衛(思温)」、母「とよ」の長男として生まれる。1880年(明治13年)に常永村会議員に当選、その後西條村押原村、常永村が1884年(明治17年)10月に三か村合同して連合村となるにあたり最初の連合戸長(1884年10月 - 1887年7月)となった。1889年(明治22年)7月の 町村制施行に伴い、西條村外一か村組合長に当選、1890年(明治23年)3月から1891年(明治24年)10月まで山梨県会議員を、1904年(明治37年)からは貴族院議員(1904年9月29日 - 1908年8月11日)を務めている。
実業面においては、1895年(明治28年)7月17日に甲府市三日町で営業を開始した有信貯金銀行〔1907年(明治40年)4月に有信銀行と行名変更、1941年(昭和16年)12月1日に第十銀行と合併して山梨中央銀行となる。〕の設立発起人21名の一人として同行創業時の監査役を、1907年(明治30年)1月から死去するまでの間は取締役として在任した他、1898年(明治31年)から1904年(明治37年)まで自らが創立委員長となった山梨馬車鉄道の取締役〔『日本全国諸会社役員録. 明治33年』 (国立国会図書館近代デジタルライブラリー)〕、1908年(明治31年)4月15日に甲府市上連雀町で開業した山梨農工銀行〔「日本勧業銀行及農工銀行ノ合併ニ関スル法律(大正10年法律第80号)」の公布による合併の促進により、1921年(大正10年)9月1日に日本勧業銀行と合併し同行甲府支店となる。〕の取締役、1922年(大正11年)1月4日に甲府市桜町で開業した山梨貯蓄銀行〔1943年(昭和18年)12月1日に山梨中央銀行と合併。〕監査役を務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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