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僕の中の少年 : ミニ英和和英辞書
僕の中の少年[ぼくのなかのしょうねん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やつがれ, ぼく]
 (n) humble first person singular (esp. servants)
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
少年 : [しょうねん]
 【名詞】 1. boys 2. juveniles 
: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 

僕の中の少年 : ウィキペディア日本語版
僕の中の少年[ぼくのなかのしょうねん]

僕の中の少年』(ぼくのなかのしょうねん)は、1988年10月19日に発売された山下達郎通算9作目のスタジオ・アルバム
== 解説 ==
アナログからデジタルへのレコーディング機材の変化への対応は、前作『POCKET MUSIC』完成後も依然として解決できていない課題であった。デジタルへの移行に伴って録音の解像度が急激に向上したために、アナログマスターテープへの録音において構築した方法論が全く通用せず、これからは自分が満足できる音楽を作ることが不可能になると思うほどだった。一度はデジタル録音を放棄しアナログ録音に回帰することまで考えていたという。実際、アナログ 16トラックのマルチトラックレコーダーをスタジオに導入し、いくつかの曲ではレコーディングに使用していた。しかしそれは、コンテンポラリーな音楽を制作する上で、その時点で使い得る最新の技術で制作するという山下自身のポリシーと相容れないため、完全にアナログ録音へ戻ることにも踏み切れなかった。そんな時、マスタリングレコーダーとして用いられていたSONY PCM-1610がPCM-1630へと移行したことで音質が向上した。これにより、山下が感じていたデジタル録音への違和感がかなり解消されたため、山下はアナログで録音していた楽曲をデジタル機材を用いて再録音して本作の発売に至った。
労作となった背景には音作りに加え、アルバムの制作方針も影響したという。「まりやの『REQUEST』は非常に作家的なアルバムで、ああいうタイプのものは楽しんでできるから、むしろ作りやすい。でも、『POCKET MUSIC』やこの作品は自分のアイデンティティというか、思想的なものを滲ませたいと目論んだから、その分、苦労せざるを得なかった。『POCKET MUSIC』でシンガー・ソングライター的というか、内省的な方向に向かっていったわけだけど、楽曲主体の作家的なアルバムの方が遥かに作りやすいんだ。そうしたアルバムの編曲にはヘッド・アレンジも多くて、ミュージシャンの演奏に依存する部分もかなりあったんだよね。でも、自分のアルバムの場合は僕なりの編曲的な意図があって、そこで自分の持ち味を出そうと思っていたから、音作りには微妙なニュアンスが要求される。けれど、そういうニュアンスが、デジタル・レコーディングになってなかなか上手く出せなくなってしまっていた」と振り返っている。
アルバム・タイトルとなった“僕の中の少年”は、ちょうど長女が誕生した頃に作られた曲で、「レコーディング前からタイトルが決まっていたなんていうのは、このアルバムと『POCKET MUSIC』くらいだものね」と、アルバム制作の構想段階で既にこのテーマとタイトルでいくことを決めていたという。自身にとって子供の誕生はプライベートな要素として非常に大きく、そうした意味からも“シンガー・ソングライターによるコンセプト・アルバム的な作品”だとし、「僕がこうしたコンセプト・アルバム的なものを作る時、常に想起しているのは、リチャード・ハリスの『A Tramp Shining』やムーディー・ブルースの『Days Of Future Passed』などなんだ。僕はああいうアルバムに首まで浸かって育ってきたから、コンセプト・アルバムというものに憧れを抱いている。でも、日本ではあまり受けないんだよね」という。本人の制作意図とは裏腹に、当時のスタッフは“夏だ、海だ、タツローだ”路線の継続を目論んでおり、思惑が一致していなかったという。30代半ばを迎えようとしている時期にあって、スタッフが強く推し進めた先行シングル「踊ろよ、フィッシュ」の不振、そしてスタッフから「そろそろ落ち目なのだからリスキーだ」とされた「ゲット・バック・イン・ラブ」のヒット。そして、自分の中の大人と子供。そうした様々なせめぎ合いがこのアルバムには反映されているという。しかし同時に「周囲から『人気も盛りを過ぎた』と感じられていたからこそ、今のうちにこういうアルバムを作って、ある程度格好がつけばいい」という思いもあったという。体調面や人間関係、ミュージシャンの人選など、このアルバム発表後のコンサート・ツアー『PERFORMANCE '88-'89』は常に演奏に不満を抱えながら、シュガー・ベイブ以来の辛い精神状態の中でツアー日程を乗り切ったが、本当に疲れ切ってしまったと振り返る。「これからはもう少し楽にやらないと身体が持たないと思って、『ARTISAN』ではコンセプトを変えたわけ。もうちょっと作家主義・楽曲主義にしよう」と、当時の機材の性能の問題や自身の健康上の問題から苦労も少なくなかったが、作品自体の不満は無いと語っており、「もう今は成熟しすぎてしまっていて、この作品のようなアルバムは二度と作れないだろう」という。また「思うのは、ヒットのみを狙って作った音楽というのは、最終的にはダメなんだよね。ヒット・チャートに対する心のどこかでのクエスチョン・マークというか、消費されることに対するためらいとか抵抗感を持っていないと、結局はダメなんだ、ということが、10年後によくわかりましたよ」と、改めて思い知ったという。
本作は『FOR YOU』などと比べれば知名度は低いが、ファンクラブで好きなアルバムのアンケートでは1位となり、特にアルバム発売当時20代前半だった層からの支持が高いという〔オフィシャルファンクラブ広報誌「TATSURO MANIA」No.30 “〜ALBUM GUIDE・僕の中の少年〜”(1999年)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「僕の中の少年」の詳細全文を読む




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