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伊集院久治 : ミニ英和和英辞書
伊集院久治[いじゅういん ひさはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しゅう]
 【名詞】 1. collection 

伊集院久治 : ウィキペディア日本語版
伊集院久治[いじゅういん ひさはる]
伊集院 久治(いじゅういん ひさはる、天文3年(1534年) - 慶長12年10月28日1607年12月17日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将島津氏の家臣。通称は三郎兵衛、右衛門兵衛尉。受領名下野。法号は抱節。父は伊集院久道。子に久元
久治の家は島津家の重臣である伊集院忠朗とは別流で、伊集院氏5代忠国から分かれた家である。日向国福島薩摩国桜島市来出水大隅国高山の地頭を務めた。
天正8年(1580年)、阿蘇氏の家臣中村惟冬の守る肥後国矢崎城綱田城攻めに従軍。天正14年(1586年)には大友氏攻略のため豊後国諸城を攻めるなど九州各地を転戦した。天正19年(1591年)から慶長10年(1605年)まで島津氏の家老として義久義弘家久の三代に仕えるが、翌慶長11年(1606年)義久と天草城を巡る意見の相違から家老を辞した。
慶長12年(1607年)、死去。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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