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伊達行朝 : ミニ英和和英辞書
伊達行朝[だてこうあさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

伊達 : [だて]
  1. (adj-na,n) dandyism 2. vainglorious 3. showy 4. gallantry 
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

伊達行朝 : ウィキペディア日本語版
伊達行朝[だてこうあさ]

伊達 行朝(だて ゆきとも)は、鎌倉時代後期から南北朝時代武将南朝側の武将として各地を転戦した。
== 生涯 ==
建武の新政下で陸奥守として下向した北畠顕家に従い、同国の式評定衆の一人として奥羽行政の中枢に参画した。建武2年(1334年)に顕家が足利尊氏を追って西上したときには、奥羽諸将とともに従軍し、延元元年(1336年)に帰国した。この留守の間に北朝方の勢力が盛んになり、多賀国府が脅かされると、国府は伊達氏の勢力圏にある霊山に移った。延元2年(1337年)には、惨敗に終わる顕家の二回目の西上にも従った。顕家の死後は常陸伊佐郡伊佐城に拠ったが、高師冬に攻められ降伏した〔茨城県指定史跡の伊佐城跡(茨城県筑西市中館)に伊達宮内大輔行朝公塔と刻まれた供養塔あり。〕。
和歌にも通じており、『風雅和歌集』などにも入集した。和歌集での掲載名は藤原朝村

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊達行朝」の詳細全文を読む




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