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伊達村和 : ミニ英和和英辞書
伊達村和[だてむらわ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

伊達 : [だて]
  1. (adj-na,n) dandyism 2. vainglorious 3. showy 4. gallantry 
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 

伊達村和 : ウィキペディア日本語版
伊達村和[だてむらわ]

伊達 村和(だて むらより)は、江戸時代中期の大名。はじめ仙台藩一門第三席・水沢伊達氏第5代(留守氏第22代)当主。のち、新設された陸奥国中津山藩の藩主となったが、わずか4年で改易された。
== 生涯 ==

=== 誕生から水沢伊達氏当主時代 ===
寛文元年(1661年)8月25日、前仙台藩主・伊達綱宗の二男として、江戸の品川屋敷にて生まれる。幼名は鶴千代
寛文11年12月19日(西暦では1672年1月)、伯父の岩沼藩主・田村宗良烏帽子親として元服し、田村顕孝(たむら あきたか)と名乗る。
延宝3年(1675年)3月、水沢伊達氏第4代当主・伊達宗景が跡継ぎ無くして死去すると、兄・綱村の意向により水沢伊達氏に入嗣する。閏4月15日、家督を相続して第5代当主となり、名を伊達顕孝と改め、延宝5年(1677年)9月18日には水沢要害への入部にともない、兄・綱村から一字を賜って村任(むらとう)に改名する。同年、三沢宗直の娘・於常(母方の従妹)を正室に迎える。村任は藩主・綱村の同母弟ということもあって家督相続以後たびたび加増され、貞享元年(1684年)3月には知行高が21,635石に達した。これは水沢伊達氏の歴代を通じて最大の石高であった。
村任は、一気に増大した所領の整備に努め、特に千田堤・寿安堰の改修など治水面に力を注いだ。また、水沢伊達氏の家臣団は旧来の留守氏譜代のみならず、のちに伊達氏・黒川氏国分氏などから加わった家も多く派閥間抗争が絶えなかったので、元禄3年(1690年)1月11日に『留守家条々』八か条を制定して家中の引き締めを図った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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