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伊豆佐比売神社 : ミニ英和和英辞書
伊豆佐比売神社[いずさひめじんじゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まめ]
  1. (n,pref) (1) beans 2. peas 3. (2) (as a prefix) miniature 4. tiny 
: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [ひ]
  1. (n,n-suf) (1) ratio 2. proportion 3. (2) Philippines 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神社 : [じんじゃ, かむやしろ]
 【名詞】 1. Shinto shrine 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

伊豆佐比売神社 : ウィキペディア日本語版
伊豆佐比売神社[いずさひめじんじゃ]

伊豆佐比賣神社(いずさひめじんじゃ)は、宮城県宮城郡利府町にある神社である。『延喜式神名帳』に小社として記載されている式内社で、旧社格村社長者(九門)屋敷という小高い丘上に鎮座する。
== 祭神 ==
平成21年(2009年)4月に宮司に伺ったところ、当神社の祭神伊豆佐比賣命(いずさひめのみこと)で、『延喜式神名帳』に記載がある神とのこと(『延喜式神名帳』での表記は伊豆佐賣〔平成21年(2009年)4月15日の例祭の際に、氏子総代に伺った話では伊豆佐賣の表記でもイズサヒメと呼んでいるとの事。〕)。五穀豊穣の神として祀られているという。
『延喜式内陸奥一百座 平成巡礼記』〔本田兼眞 『延喜式内陸奥一百座 平成巡礼記』 神社新報企画 1997年6月 より。〕では、伊豆佐比賣命は『大日本神名辞書』〔梅田義彦 編著 『大日本神名辞書』 堀書店 1972年12月〕などの調べではどのような神であるか不明であると述べた上で、当神社に祀られている神について2説の推論をあげている。
#「湯の神」説
#:出口延経の『神名帳考証』巻5〔『神名帳考証』は 佐伯有義 編 『神祇全書 第1輯』 皇典講究所 1906年10月 に所収。〕には「伊豆国伊豆奈比咩命神社、按穀霊、出羽国由豆佐賣神社」と記載されている。由豆佐賣神社の由豆佐とは「湯出沢」の義で、湯の守り神とされる〔『延喜式内陸奥一百座 平成巡礼記』ではさらに、由豆佐賣神社の祭神は溝樴姫命の他、各地で湯の神として祀られている大己貴少彦名も祀られているので溝樴姫命だけを以って湯の神と断ずることもできないのではないか、と続いている。〕。さらに『利府町誌』〔利府町誌編纂委員会 編 『利府町誌』 利府町誌編纂委員会 1986年3月 より。〕に「出羽国田川郡(現在は山形県鶴岡市湯田川)の由豆佐比賣神社と同じ祭神で湯の湧き出るを神の業となし、物の生み出す神を女神としたのであろう。沢乙や産野原に当時は湯が湧いたのであろうか。」との記述があることを紹介。現在も当神社の4km圏内に2つの温泉が湧き、この内の1つ「沢乙の湯」は榎川の流域にあって、当神社から榎川に至る丘陵で縄文前期の居住跡「六田遺跡」が昭和60年(1985年)に発掘されたことは、この土地の開発や当神社の勧請創建と無関係ではないように感じられる、と考察した。
#「穀霊の神」説
#:鎮座地の「飯土井」は、『出羽陸奥の古社』の著者 本郷 馨 氏が著書中で「飯豊」の訛りではないか、と述べていることを引いた上で以下のような推論を行っている。すなわち『延喜式神名帳』に記載がある陸奥国100座の中で、温泉の湧き出るところの神は「温泉神社」と称し、「飯豊」に関係している社は「湯の神」より「穀倉の神」や「生産の神」とされているようだと。また、『神名帳考証 巻5』〔の当神社の項には「按宮城以有屯倉名郡、伊豆佐賣倉廩守護之神歟」との記述がある〔1750年頃、丸山活堂によって著された『陸奥式社考』と『神名帳考証 巻5』では、当神社の祭神は穀霊の神である豊宇気姫としている。『陸奥式社考』は水府明徳会・彰考館文庫蔵。〕ことを紹介し、鎮座地の地勢や豪農九門長者が成立した理由などからも、穀霊の神をお祀りしても不自然ではない、と考察した。
また、『延喜式内陸奥一百座 平成巡礼記』〔では、享保4年(1719年)に著された『奥羽観蹟聞老志』〔佐久間義和 編 『奥羽観蹟聞老志』 宝文堂出版販売 1972年10月 より。〕が祭神を溝昨比咩(かうさひめ)〔『封内風土記』での振り仮名は「みぞくいひめ」〕としていることに触れ、同書が溝昨比咩と記したところには特別の記述はなく、ただ「圭田28束三毛田所祭溝昨比咩也」とあるのみと述べている。さらに、安永元年(1772年)の『封内風土記 巻之4』〔田辺希文 編 『封内風土記』 宝文堂出版販売 1975年11月 より。〕等、その後に著された諸誌が当神社の加階について全く同じ箇所に誤りがある〔『日本文徳天皇実録』の仁寿2年(852年)8月7日の条には「加正五位下」とあるが、『奥羽観蹟聞老志』および『封内風土記』には仁寿2年7月に「授従五位下」と記載されている。〕ことから、『封内風土記』等その後に著された諸誌が『奥羽観蹟聞老志』を基に書かれているのではないかと推測している。
これらを踏まえ『延喜式内陸奥一百座 平成巡礼記』〔では、祭神を素直に「伊豆佐比賣命」と考えると「伊豆」は厳、「佐」はことを推し進める接頭的語意、「比賣」は女性で生産の根元として定説が成り立っているのだから「生成化育の神」すなわち当地の生産を守護する「穀霊、倉廩守護の神」と考えられること。祭神を溝咋比賣命と記載している『宮城県神社名鑑』〔宮城県神社庁編 『宮城県神社名鑑』 宮城県神社庁 1976年10月 より。〕が当神社の項の末尾に「に伊豆佐賣神社とあり、文徳実録は伊豆佐咩神に作る。社伝溝咋比咩とするはいかが、・・・」と記載していること。『利府村誌』〔利府村村誌編纂委員会 編 『利府村誌』 利府村役場 1963年3月 より。〕に「この神は女性で、米作地帯の水の灌漑を第一に司り、秋の五穀豊穣へと農民が精出す上、この辺一帯の往古から水田開墾以来日夜尊敬されていた神社である。」と記していることを挙げ、当神社の神は「五穀豊穣の女神」である伊豆佐比賣命または豊受姫命ではないかと考察している。
その他の異説として『延喜式内陸奥一百座 平成巡礼記』〔では、安永7年(1778年)に書かれた『延喜式陸奥一百座参拝録』に「伊津佐比賣命乗跡、俗ニ阿久玉御前ト云。」と記載されている(阿久玉御前については後述の九門長者屋敷跡を参照)ことを紹介しているが、阿久玉御前を当神社の祭神と結びつけるのはどうかと思われる、とも述べている。
いずれにしろ、現在のところ宮司および氏子とも、当神社の祭神を五穀豊穣の伊豆佐比賣命として祀っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊豆佐比売神社」の詳細全文を読む




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