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伊藤銈次郎 : ミニ英和和英辞書
伊藤銈次郎[じろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

伊藤銈次郎 ( リダイレクト:伊藤観魚 ) : ウィキペディア日本語版
伊藤観魚[いとうかんぎょ]

伊藤観魚(いとうかんぎょ、1877年10月10日 - 1969年2月10日)は、愛知県名古屋市出身の俳人
== 概要 ==
観魚は1877年(明治10年)10月10日、愛知郡西魚町2丁目(名古屋市中区丸の内三丁目)に所在した料亭「近直」(きんなお)経営伊藤直吉の次男伊藤銈次郎として出生。
1901年(明治34年)、兄の天籟とともに塩谷華園黒部烏不関らによる句会「大根会」に入会し、同会雑誌『華大根』の編集に参加する。同会の影響により、河東碧梧桐との親交を得る。30歳を過ぎて、碧梧桐を頼って上京し、中村不折洋画を学ぶ。1912年(明治45年)6月、碧梧桐・不折らの「龍眠会」の設立に参画。
1923年(大正12年)ごろ帰名、近直の離れに母とともに暮らすようになる。1945年(昭和20年)5月17日空襲により、家財一切を焼失し、東区池内本町に移住。1946年(昭和21年)5月、中川区八田本町に移った。1969年(昭和44年)1月、国立名古屋病院に入院したことを機に、中村区日吉町稲本寮に引っ越す。同年2月10日、死去。翌日、中村観音において葬儀が営まれ、参列者は500人と記録されている。
1970年(昭和45年)2月、中川区富田町万場の光円寺境内に祀られ、大治町浄国寺にも分骨されている。またこれとは別に、中村区稲葉地本町凌雲寺に小さな碑が残されている。
1969年(昭和44年)4月、遺言に従って名古屋市中村図書館にコレクション約350冊が寄贈され、「観魚文庫」として整備される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊藤観魚」の詳細全文を読む




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