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今井達夫 : ミニ英和和英辞書
今井達夫[いまい たつお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こん]
 【名詞】 1. this 2. now
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [たち, たっし]
  1. (n-suf) plural suffix 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

今井達夫 : ウィキペディア日本語版
今井達夫[いまい たつお]

今井 達夫(いまい たつお 1904年3月3日 - 1978年5月6日)は日本小説家。筆名は本名と同じ。

==略歴==

* 1904年明治37年)3月3日 - 父今井秀松・母きみの長男として横浜市中区野毛に生まれる。
*:父は山形県西村山郡朝日町出身。横浜で兄弟生糸商を営む。
*:母は山形県東村山郡山辺町の生まれ。安達峰一郎の妹。
*:幼年期のほとんど毎夏、鵠沼で過ごす。
* 1910年 - 横浜市尋常小学校に入学。
* 1912年 - 秋から父の療養のため神奈川県藤沢市鵠沼海岸下鰯に転居。
*:鵠沼尋常小学校(現在の藤沢市立鵠沼小学校)に3年生で転校。
*:同年 - 父秀松、死去。
* 1916年 - 鵠沼尋常小学校を卒業。
*:同年開校の私立藤嶺中学校に1回生として入学。
* 1920年大正9年) - 私立藤沢中学校(1918年改称)を4年で修了し、慶應義塾大学予科に入学。
*:同年 - 渋谷・常磐松の祖母しうの家に下宿。
*:大学在学中、同人雑誌「橡」に戯曲を発表する。その後、辻潤らのダダイズムに接近した。
* 1922年 - 詩集『心の風景』を大雲堂より刊行。
* 1923年大正12年) - 東京で関東大震災に遭遇し、3日がかりで鵠沼の自宅に戻る。しばらく鵠沼で震災後始末のボランティア活動に従事。
*:同年 - 鵠沼の家は倒壊したので、鶴見の親戚の別荘の離れに仮住まい。
* 1924年 - 大森馬込に借家。
*:同年 - 東京・南馬込2-26-30に住み、その間馬込文士村の一員として各界名士と交流した。
*:この間の交流録を『馬込文学村』にまとめたが、榊山潤の『馬込文士村』と同時期に出版予定だったため、校了までいったのになぜか出版されず、幻の書となった。
* 1926年 - 慶應義塾大学を中退、文筆活動に入る。博文館に入社。その後時事新報社に移る。
* 1936年 - 小説「青い鳥を探す法」を5か月間「三田文学」に連載。
* 1939年 - クニ夫人(福島市の医師の息女)と結婚。
* 1940年 - 『青い鳥を探す法』を学藝社より刊行。同作品で第二回三田文学賞を受賞した。
* 1942年 - 現鵠沼海岸3丁目10にあった「新風荘」に寓居。
* 1945年昭和20年) - 「新風荘」が日本精工の寮に転用のため、妻の実家の福島市北町へ疎開した。
*:終戦直後、福島県文芸家協会を設立。福島県内各地で文化講演会を開催した。
* 1946年 - 大森の妹の家に寓居。
* 1947年 - 現鵠沼海岸3丁目10の産婦人科の2階に寓居。
*:同年 - 現鵠沼海岸3丁目8の安岡章太郎の父の家の離れに寓居。
* 1951年 - 鵠沼松が岡3-14-9に家を建てて住んだ。
*:鵠沼在住の作家、画家、俳優、ジャーナリスト等で「すわん會」を結成して、20年以上にわたって懇談交流の場を主宰した。鵠沼を訪れた文人たちとの交流を書いたもので、「鵠沼にゐた文人」「鵠沼物語序説」などがある。
* 1978年昭和53年)5月6日、鵠沼で没。享年74。墓所は眞徳寺(時宗 遊行寺塔頭 神奈川県藤沢市西富)
*:眞徳寺の前住職(2009年入寂)は今井が名付け親だった。先々代は藤嶺中学の同期生で親友だった。
*:今井の未発表作品に『遺言書』があり、墓地への思いも書かれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「今井達夫」の詳細全文を読む




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